ダリルドーキンス、かつてバックボードを二度も粉砕し、伝説のパワーダンカーとして知られたプレイヤー aka チョコレートサンダーがこの世を去りました。
享年58歳、まだこの世を去るには若い年齢でしたが、心臓発作のため他界。
ドーキンスは後のNBAのレジェンドの一人であるモーゼスマローンが高卒からABAに入団し、史上初高卒プロバスケットボール選手となった翌年の1975年に、同じく高卒として1巡目5位でフィラデルフィア76ersより指名されました、つまりNBA史上初の高卒プレイヤーとなったのです。
そして14年のNBAキャリアを通してチームは76ers、ネッツ、ジャズ、そしてピストンズと4チームを渡り歩き、一試合平均12点、6.1リバウンド、1.4ブロックを記録しました。
数字としては圧倒的なスタッツを残せたわけではありませんでしたが、彼がNBAの歴史に名を残す選手であり、何世代にも渡って語り継がれる事には大きな理由があります。
それは、彼の繰り出す強烈なスラムダンク。
ドーキンスは76ers時代からNBA史上最高のダンクレジェンドと称されるDr.Jことジュリアスアービングと並び、リーグで最もエキサイティングなダンカーとして認知されたのです。
フープに背を向けた状態でノールック気味にダンクを決めたり、片足跳びも両足跳びもこなし、更に右手、左手、そして両手とあらゆる角度からブロックを物ともせず変幻自在に雷のようなダンクを叩き込んで行く彼につけられたニックネームは、
チョコレートサンダー。雷のようなダンクを決める黒人。
これはR&Bシンガーのスティービーワンダーがドーキンスのプレイを見てつけたものでした。
そして、チョコレートサンダーことドーキンスは正にその名の通り、歴史的なダンクを決めリーグに嵐を巻き起こしたのです。
1979年11月13日に行われた対カンザスシティーキングス戦、インサイドでボールを受け取ったドーキンスはフープ右から跳躍、両手で思い切り振りかぶってダンクを叩き付けた所、、、
何とバックボードを粉々に破壊してしまいました。
バスケの歴史においてバックボードを破壊した選手は少なくはないでしょうが、ドーキンスが何よりも圧倒的なパワーを誇っていた証拠であるのが、その試合の二週間後にまたしてもバックボードを破壊してしまった衝撃の事実。
ドーキンスはバックボードを木っ端みじんにするだけに止まらず、フープの支柱を曲げてしまう事もあり、アリーナにいるスタッフはバスケゴールの修復に一時間以上かける事になるなど非常に悩ましいプレイヤーだったようです。
最終的に当時のNBAコミッショナーラリーオブライエンは、ドーキンスに対しフープを壊したらその都度5000ドルの罰金を課す処置を取る事にしたのですが、76ersのジェネラルマネージャーだったパットウィリアムスが機転を利かせ、オブライエンに「私たちはその割れたガラスを「ダリルのダイヤモンド」としてこれからのゲームでファンに配ろうと思ってるんですよ。」とジョークを交えて主張、その一件でドーキンスが傷つかぬよう配慮した行為だったようです。
その行為もあってか、ドーキンスは何とか処分を免れ、リーグは二度と壊れないようフープの耐性を強化。
これによりNBAプレイヤーが安心して容赦なくダンクを叩き付けられる環境が整備されたのです、その十数年後に怪物シャックことシャキールオニールがデビューし、支柱を根元からへし折ったのはともかく(笑)
正にバスケットフープに革命を起こさせたプレイヤーと言っても過言ではありませんが、そんなドーキンスにはパワーダンカーとして更にもの凄い逸話があります。
それは現在ESPNで働くデイブという方が元76ersの機材係であった彼の父より教えてもらったもので、それがいかにもドーキンスらしく、ドーキンスしか出来ない芸当でとても興味深いです。
「私のお気に入りのダリルドーキンスの話は昔76ersの機材係として働いていた父から伝えられました、恐らくそれは父により既に千回以上伝えられた話だと思います。まだ80年代前半だったある日の事です、76ersがいつも使用していた練習場がその日は使う事が出来ず、あるちっぽけな高校の体育館で練習する事になりました。その時期は真冬で、体育館は隙間風が入り、天井は低く、バスケット裏にはステージがあり、床はきちんと手入れがされていない状態、もうどんな場所だったかだいたいイメージは出来るでしょう。全く持ってNBA選手がプレイするような環境ではなかったのです。チームはとりあえずウォーミングアップを始めましたが、Dr.J(チームのエース、ジェリアスアービング)はレイアップするラインのコンディションに文句をつけ始めました。その時ドーキンスは、アービングにこう言ったのです。「始まる前に俺がこの練習を終わらせよう。」チョコレートサンダーと呼ばれた男は、ライン上に立ちダンクへと跳び上がりました。そして意図した通りリムを粉砕したドーキンスは、「練習は終わったぜ、コーチ。」とコーチのカニングハムに告げたのです。」
NBAから身を引いた後も、イタリアリーグ、そしてショーバスケットチーム、ハーレムグローブトロッターズなどで活躍したドーキンス、行く先々でファンは彼のダンクに魅了されました。
ダンクの歴史において欠かせないパワーダンカーの父、心臓発作のため他界となりましたが、恐らく頭上に出来たであろう金色のフープも粉砕し、いずれまたこの世に舞い戻って来て欲しいものですね、、、
RIP Chocolate Thunder. We love u.
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