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オーランドの英雄 : ペニーハーダウェイ

2014年02月22日
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こんばんは、私の兄の弟です。

今日はニックス対マジックを観戦していましたが、何とペニーがオーランドマジック創設25周年レジェンドナイトという事で表彰されていましたね。

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ペニーは93年にウォーリアーズからドラフトされた直後クリスウェバー&ドラフト指名権のトレードでオーランドマジックに移りましたが、マジックでのキャリアは数字でこそ圧倒的な成績を残したわけではないものの、インパクトという意味では相当なものを残しました。

恐らくペニーがレイカーズやセルティックスのプレイヤーだったら、こうして表彰を受けるなんてことは無かったかもしれません、しかしマジックはペニーがデビューした時まだ出来たばかりのチームでほぼ白紙でしたから、フランチャイズを一躍人気チームに押し上げ、ペイサーズを第7戦で破りロケッツとのファイナルまで導いたというのは正に賞賛されるに値するでしょう。

そして、ペニーのキャリアを語る上で忘れてはならないのが、怪我です。

正直な所、今までNBAの選手を数多く見て来ましたが、このペニーハーダウェイが私個人的には一番怪我をせずにキャリアを全うして欲しかった選手かもしれません、其れ程彼のプレーというのは見る者を驚かせ、何より人柄など含め一バスケットボール選手としてとても尊敬出来るプレイヤーでした。

マジック時代怪我のためかつてのような動きが見られなくなってきて最終的にトレードされる事になり、その後チームでも中堅選手的存在としてキャリアを全うしましたが、やはり若かりし頃の輝きを思い出すととても残念でした。

そしてNBAでは不完全燃焼のような感じで、決してキャリア通して輝かしい記録というものは築けませんでしたが、実はペニーは幼少時代から既に苦労した人生を送っていたのです。
アメリカでは1セント硬貨はペニーと呼ばれ、幸運を呼ぶコインとも呼ばれていたりします、そしてそのペニーのようにかわいいという意味合いで、おばあちゃんからペニーというニックネームを与えられた彼でしたが、幸運とは程遠い幼少時代を過ごしました。

彼が生まれた時既に父親は別居していて、3歳の頃に母までもが家出、おばあちゃんに育てられる事になったペニーは、6歳で初めて父と対面しましたが、この時自分の父であるという自覚は出来なかったようです。

両親の愛を感じられる事なく育ち、当然家も貧乏な環境で、苦労した幼少時代でしたが、こうした境遇の中不良の道に歩むことなくすくすくと育つ事が出来たのは、おばあちゃんの暖かい愛があったから、そして彼にとって生き甲斐となっていた、

バスケットボールという存在があったからです。

当時の彼にとって憧れのスターはマジックジョンソン、マジックのプレーを見て学びつつ自分のスタイルを確立しようと日々練習に明け暮れました、そして高校時急激に身長が伸びたと同時にフォワードの動きも学び、マジックのようにパスを出し、ジョーダン(もガードではありますが)のようにシュートを決める、そんな選手として地元では一躍有名に、そして高校を終えた時のアベレージは36.6という素晴らしいものでした。

高校自体はチームとして好評価を得たわけではなかったですが、ペニーの能力というのは到底スカウトにとってスルー出来るものではなく数多くのカレッジから勧誘を受ける事に、しかし彼が最終的に選んだカレッジは地元のメンフィス大学だったのです。

その理由というのが、大好きなおばあちゃんがすぐ試合を見に来れるように。

おばあちゃんから受けた愛は、そのままペニーをも愛情溢れる子として成長させていたんですね。

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徐々に満たされた人生を送り始めたペニー、しかしそんなペニーを再び悲劇が襲います。

ある日ストリートを歩いていた彼は強盗に襲われ、地面に押し倒された挙げ句財布を奪われ、犯人が車で逃走際、立ち上がろうとしたペニーに発砲、膝を銃弾が直撃。結果的に骨を三本折る重傷でした。

病院に担ぎ込まれた彼でしたが、今銃弾を抜くのは危険だというドクターの判断で銃弾が膝に入ったままリハビリをする羽目に、一時はバスケットをやめなければならないと考えたようです。

そして、事件から半年程経過した後に弾の摘出手術を受けたペニーは、再び大学で中心選手として活躍、後にアーリーエントリーでNBAの舞台へ立つことになったのです。

ちなみにペニーがマジックへの入団した経緯ですが、実はマジックでチームメイトとなったシャックことシャキールオニールとはそれ以前から熱い絆があり、あるイベントでチームを組むことになった彼らは抜群のコンビネーションを披露し、シャックがマジックに入団後ペニーを獲得してくれとフロントに動いたのがきっかけだそうです。

ペニーも是非マジックに行きたいと思ったものの、当時1位指名権を持っていたマジックは誰を指名するか悩んでいてウェバーとペニーを招待し、オーディション形式のミニゲームでプレイさせた所、ウェバーの方が良い活躍をしたという事でウェバーを指名することにしていたんです。

しかし、ペニーが後にマジックに売り込みもう一度ゲームをさせてくれと志願、シャックもそれを支持し、そのゲームで評判通りの活躍を見せたペニーはウェバーを獲得するとマジック側は公表していたため、ウェバーを獲得後ペニーとトレードする事に決めたそうでした。

シャックというきっかけはあったものの、オーランドマジックはペニーにとってとても魅力的なチームで思い入れもあったのでしょうね。

マジックでのキャリアは再度言いますが数字としてはそこまでスーパースターと言われる程の数字を残したわけではありませんでした、しかし彼のオーランドマジック時代のプレーというのは今でも人々の脳裏に焼き付いて離れない、唯一無二のプレーであった事は疑いようのない事実でしょう。

NBAを通してはとても幸運と言えるキャリアではなかったかもしれません、しかしこうして長い時が経った今もマジックのホーム、アムウェイセンターで大勢の観客にスタンディングオベーションで讃えられていうのを考えると、彼自身決して不運なキャリアだったとは思ってないでしょう。

私は以前あるNBA選手の自宅訪問をするという番組で、ペニーが登場した時、彼の豪邸のリビングに幼少時代を過ごした古びた家の写真が壁に飾ってあったのを今でも忘れません。

彼は言いました。

「これを見ると初心を思い出せるんだ。」

大好きなおばあちゃんと共に過ごした家、辛い日々を過ごした幼少時代、その時の自分があるから今の自分がいるという事を彼は常に自覚しているのかもしれません。

ペニーハーダウェイよ永遠に、思い出をありがとう。

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About cata.

cata.
96-97シーズンよりNBAを見始め、それがきっかけで中学からバスケを始める。高校ではNBAファンサイトを運営。大学から渡米し7年滞在後に帰国。2015年からツイッターでNBA情報発信を始める。レブロンと同い年の会社員。

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7 comments

  1. ペニーは非常に残念なキャリアでしたね…。゚(゚´Д`゚)゚。
    ヒルもそうですが、怪我が無ければどこまで輝かしいキャリアを送っていたんだろう…。と思います。
    コービーやレブロンとは違い、2人共ナイスルックスも持ち合わせていただけに…ヽ(;´Д`)ノ笑
    しかし、ペニーもヒルも数字だけ見ればそうでもないかもしれませんが、NBA選手としてリーグや人々の記憶に残したものは非常に輝かしいものであり、全盛期の力が出せなくてもバスケを愛してプレーし続けて、チームに貢献し続け、正にプロフェッショナルですよね。
    ネクストマジック、ネクストジョーダンとして人々に夢を与えてくれた、唯一無二の存在です。
    ちんこ。

  2. ペニ○といえばオーランド!
    オーランドといえばペニ○&尺!
    ってことでオーランド時代のペニ○&尺コンビは強烈すぎて、今も子宮に響き続けてマス(≧∇≦)
    数字だけでは表せないスターってのは今も昔もいっぱいいて、ドMエロ紳士さんのオッパブ通りヒルもビクンビクンさせてくれる選手でしたし、ちょっとスターとまでは言えないけどロンハーパーもそこでジョーダンとピッペンを差し置いて君が行くのかぁ的な感じで結構好きでした♪
    あれだけの大男達がガチンコファイトクラブ(かのヤラセ番組ではなく、ホントの意味で)してるわけで怪我はつきものですが、怪我がなければ…と思う選手はいっぱいいますね!
    ローズ…バリバリのフランチャイズスターだけど、今後は大丈夫なのか心配のパイパイ

  3. おら、こいづ見たこどあるぞ、東京どおむってとごで。いつだったがなぁ、おらこんな村いやだと思て、東京さ出で、ゼニ͡コ貯めで、東京でベコ飼うって田舎から出で来だんだ。おらの村は、テレビも無ェ、ラジオも無ェ、クルマもそれほど走って無ェ、ピアノも無ェ、バーも無ェ、おまわり毎日ぐーるぐる、だがらな~。
    かっこえがったなぁ~、上手に玉入れとったで。たしが名前は・・・そんだ!「あんなにーポニー」とか言っでだな。おらの村にそんなハイカラな名前のおらんわ、がはははw

  4. >エロさん
    私もあのまま怪我をしなかったら一体どれだけのハイライトを残していてくれたかと考えるととても悔やまれます… ヒルもマグレディーとの協力デュオがマジックで大いに期待された中怪我で本当に残念でした。
    しかし、二人とも後に所属したチームで自分の出来る仕事に徹してチームに貢献、記録では決して大したものとは言えないかもしれませんが、人々の記憶においては間違いなくレジェンドです。
    まんこ。
    >Motto Mottoさん
    マジックはチームカラーで青って事でチームとしてファンでした、いや今もファンではあります。
    ただあの時ほどのワンツーパンチはなかなか見れないだろうなというのが正直な所ですね、当時二人とも若いってのもあって迫力もあり本当にホットラインでした。
    ロンハーパーはキャブス時代点も取れるオールラウンダーで本当にスター選手になる可能性を秘めてましたよね、ブルズでは職人的ポジションでしたが、あの活躍もブルズにおいては丁度良い役回りで王朝を支えた存在だったと言えます。
    ローズは… ここまで怪我でゲームから離れるとバスケに対するモチベーションが低下しないか、そこが心パイ乙です。
    >ごりゾー
    言ってねがっだがもすんにーげんちょ、オラのすっすんちはとーほぐだがんなぃ!!つかづか東京さオラまだもどっかもすんねぇがら、あんのハイカラな土地オラさしょーかいしてくらんしょよ!!

  5. とーぎょーで、ハイカラっつったら、おめー、すんずく・すぶや、だなぁ~。こないだ、すぶや駅前のスッタ場ゆーとこで、ベンティランバチップチョコレートクリームフラペチーノ食べでだら、交差点の真ん中で右手つきあげて何か叫んでるおばさん見かけたぞぃ。とーぎょー、おっかねぇぇ~泣
    すぶやのバスケットボールストリート、全然名前と合ってねぇだらべっちょ。

  6. 私も大好きな選手です。
    ヒルとペニーが今後を担っていく選手と私も思ってました。
    今でもレプリカジャージを着てたまにプレーしますよ(^^;;

  7. >吉ごり三
    交差点の真ん中で右手つきあげて何か叫んでるおばさんとがなんだってヤベぇんでねーがいやー、流石のオラもそれは出来ねーだべさ。
    そういえばすぶやにバスケットボールストリートってどごあんだっけが、見たごとねーげんちょ、一回だけ行ってみっちぃもんだなぃ。
    とーぎょーでまどもに遊んだごどって考えてみだら人生で一度もねーがもしんにーがも。
    >snow20さん
    ヒルも次世代ジョーダンとして期待されてましたよね、二人ともイメージがすごくクリーンで未来を大いに楽しみにしてたファンが多かっただけに残念ではありました。
    ペニージャージは未だに根強い人気がありそうですね♪

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