前回の記事でバスケの神様マイケルジョーダンについて触れましたが、彼はNBAだけに止まらずバスケ界に革命を起こし世界で最も権威のあるアスリートとして知られていました。
過去に様々なスター選手が誕生したNBAですが、ジョーダンはやはりその中でも抜きん出たカリスマ性があったのです。
そんなジョーダンよりもバスケにおいて強い影響力を持ったプレイヤーがいるわけない、と思われるのが当然かもしれませんが、
現在のNBAでNo.1 PGと呼び名高いCP3ことクリスポールがこちらの動画でそれを否定しています。
「ボクはノースカロライナで育ったから、マイケルジョーダンがめちゃくちゃ好きだったんだけど、バスケにおいてはアレンアイバーソンが誰よりも強い影響力を持った選手だったと思うよ。」
アレンアイバーソン、一度もチャンピオンには届かなかった小さな戦士。
なぜクリスポールがここまで断言出来るのか、それは私と同年代のNBAファン、アイバーソンの全盛期を見て来たファンならば少なからず理解出来るのではないでしょうか。
アイバーソンは96-97シーズンに76ersから一巡目1位で指名されました、それだけでもすごいことではあるんですが、この年はジョーダンがデビューした1984年の年並みに豊作だったと言われたドラフトで、
マーカスキャンビー
コービーブライアント
ステフォンマーブリー
アントワンウォーカー
スティーブナッシュ
レイアレン
シャリーフアブドゥルラヒーム
ケリーキトルズ
ペジャストヤコビッチ
ジャーメインオニール
など後に各チームのスターとなる選手が続出した年でありました。
どのチームも喉から手が出る程欲しい長身のインサイドプレイヤーなどではなく183cmの小柄なガードがトップ指名、このプレイヤーは果たして何れ程のプレーを見せてくれるのか、周囲の期待は高かったのです。
シーズンが始まってみると、ルーキーとして史上初の40点ゲームを5試合連続で達成するなど能力の高さを見せつけはしましたが、それが勝利に結びついていない、またPGとしての役割を放棄していると批判は絶えませんでした。
二年目にヘッドコーチとしてラリーブラウンが就任するとアイバーソンは更に困惑し始め、ブラウンはスター選手を中心としたチーム作りではなく、チーム全員が主役となるチームバスケットを重視するコーチで、ボールを持ち過ぎ、得点力の高さは認めるものの多投するアイバーソンはとても扱いにくいプレイヤーだったのです。
ヘッドコーチとチームのエースの確執は76ersにとって大きな悩みの種となってしまったが、二人はシーズンを通して徐々に理解を示し合うようになり、ロックアウトにより短縮された98-99シーズン、ラリーブラウンはアイバーソンの持ち味を存分に生かす事の出来るチームとするためにアイバーソンをシューティングガードにコンバートしました。
アイバーソンをSGで起用するというのは、ミスマッチを作ることにもなり、上手く機能しないのではないかという意見がありましたが、SGとなり得点に集中する事が出来るようになったアイバーソンは水を得た魚のようにプレーし始めたのです。
ラリーブラウンの教えの元で持ち前の得点力を生かしながらチームバスケットの大切さを学んだアイバーソンは、翌年の00-01シーズンのオールスターでMVPを獲得。
トロフィーを受け取りインタビューが始まると真っ先にラリーブラウンの名を呼びました。
「コーチはどこですか?コーチブラウンはいますか?(辺りを見回しながら)」と。
その後コーチやチームメイト、家族やファンのおかげでこの賞を取る事が出来たと言いましたが、真っ先にラリーブラウンの名が挙がる辺り当時のアイバーソンのブラウンに対しての忠誠心はかなりのものだったのでしょう。
そしてシーズンMVPも受賞し、ついに念願のNBAファイナルへとコマを進める事となったアイバーソン。
相手はそれまで無敗でファイナルへと上り詰めて来たリーグ最強のセンターシャックことシャキールオニール、そしてネクストジョーダンと呼び名高いコービーブライアント率いるロサンゼルスレイカーズ。
大方の予想はレイカーズの圧勝でした、それ程に当時のレイカーズは圧倒的な強さを誇っていたのです。
しかしその第一戦、世界はレイカーズではなく、アレンアイバーソンという選手一人に釘付けになります。
一人で48ptをあげオーバータイムの末レイカーズにポストシーズン初黒星をつけたのです。
「大切なのは身体のサイズじゃない、ハートのサイズだ。」
コート上で気を吐く小さな戦士が誰よりも大きく見えた瞬間でした。
その後4連敗を喫し、シリーズはレイカーズに敗退する事になりましたが、彼の勇姿は人々の脳裏に焼き付いて離れないものとなった事でしょう。
ジョーダンは、人々にバスケットボールの格好良さ、魅力を最大限に伝えました。
アイバーソンはそれに加え、バスケに限らず世界中の小さなアスリートに勇気を与えたと言えるのではないでしょうか。
そしてジョーダンの左腕のリストバンド、大きなバギーショーツ、そしてスキンヘッド。
アイバーソンの右腕のロングスリーブ、全身を被ったタトゥー、更にコーンロウ。
アイバーソンがバスケにおいて唯一神と肩を並べる程の影響力を持ったプレイヤーであった事は間違いないのかもしれませんね。
私がまだ高校生だった頃、アイバーソンの着用しているスタイルのロングスリーブサポーターがChampion社からいち早く発売されたのを見て即購入したのを覚えています。
このロングスリーブサポーターはアイバーソンが00シーズンに右肘を怪我し、肘を被うサポーターを着用し始め、後に怪我が完治はしたものの適度な圧迫と保温効果があるのでそのままサポーターを長くして腕全体を被うスリーブにしたのが始まりでした。
現代の世界中のバスケプレイヤーの右腕を見れば、アイバーソンの影響力は一目瞭然ですよね。
ジョーダンのようなプレイヤーは二度と現れないと私は思っていますが、それと同時にアイバーソンのようなプレイヤーも二度と現れないオンリーワンだったと感じています。
アイバーソン「I don’t wanna be Michael Jordan, I don’t wanna be Magic, I don’t wanna be Bird, Isiah, I don’t wanna be any of those guys. When my career is over, I’ll look at a mirror, and I say I did it my way.(マイケルジョーダンにはなりたくない、マジックにはなりたくない、バード、アイザイア(トーマス)にはなりたくない、それらの誰にもなりたいとは思わない。自分のキャリアが終わる時鏡を見てこう言うんだ。自分は自分だったと。)」
アイバーソンはアイバーソンだったと確信を持って言えるファンがここに一人います。
Remember Me – A Tribute To Allen Iverson
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初コメです♪
A.I特集楽しく拝見させて頂きました。
バスケ素人でバスケアプリしてるあたしには選手個人の特集がすごく勉強になります。
今後はGスポット攻略法など特集して頂けるともっと嬉しいです♡
初コメントありがとうございます。
なるべく読んで下さってる方が何かしら得られるような記事を書こうと心がけてます、よろしくお願いします♪
それからGスポット攻略法はアプリの方でお伝えします(笑)
この時はファイナルに進むまでも激戦続きで貼ってある動画にもあるように体中怪我してた気がします。
それでいてスイープ続きで休養十分のLALの連勝を唯一止めたのは凄いの一言でした。
あぁぁ、その大事な部分を省いてしまいました… 腰とかも痛めてて満身創痍でプレーしてましたよね、更に試合途中流血してたり。
あのファイナル第一戦はもはや伝説ですね。