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フリースローラインからの制空権を支配する者 – ジェームズホワイト

2015年02月02日
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こんばんは、本日は相も変わらずダンクネタなんですが、、、NBAのダンクを語る上で一度は触れておかなければならない伝説のダンカーについてお話しようと思います。

彼の名は、

02021502.jpg

ジェームズホワイト。

は、誰やねん、ソレ、ジャハイディホワイトなら知ってるよ?

と思われた方も多いかもしれません、それもそのはず、彼はNBAの舞台で華々しいダンクをほとんど決めていないのですから。

しかし、ダンクファンの方にとっては、彼が2013年のNBAダンクコンテストに出場した事はきっと記憶に新しい事でしょう。

冷静に考えてみれば、なぜニックスでもあまり出場機会の無い、ダンク本数も少ない、好プレイハイライトにも出て来ない彼がダンクコンテストに選出されたのか。

そこには涙ぐましい?ストーリーがあったんですねぇ。。。

まず初めに私が彼の存在を知ったのは、まだ彼が高校生だった2000年辺り、BALL ABOVE ALLというVHS(後にDVDも販売)に出演していたのがきっかけでした、当時の私にはかなり衝撃的で、その頃私が運営していたサイトでもおススメ品として話題に取り上げておりました。

っていうか…

今探したらその映像youtubeに上がってましたよ!懐かしい!!!貼ります。

Future Of Flight – Ball Above All DVD

見て下さると分かると思いますが、高校生という若さで既にレーンアップを楽々とこなしており、彼の片足跳びから繰り出されるダンクは全米でも群を抜いておりました、まぁこうして特集される程ですからね。

そして2001年、彼はハイスクールのダンクコンテストに出場したのですが、一人異次元の飛距離と高さを披露、私はそれまでNBAのダンクコンテストでDr.J、ジョーダン、ピッペン、ドレクスラー、バリーなどNBAを代表するダンカーのレーンアップを見ては来ていましたが、このコンテストでのホワイトのレーンアップというのは今挙げたNBAトップクラスの跳躍力を誇る彼らと比較しても過去最高と言えるぐらいの浮遊感がありました、正に浮き上がるような跳躍、決勝では後頭部に一度ボールを下げるクラッチを入れてのボースハンドレーンアップも決めました、当時これが出来るプレイヤーはほとんど皆無だったと記憶しています。

2001 McDonalds Highschool Dunk Contest

↑1:31のダンクを是非チェックして下さい。

しかし実はこのコンテスト、圧倒的なダンクを見せはしたものの、現ウォーリアーズ所属のデビッドリーに敗退していたのです。

リーのアイディア勝ち(何と上に放り上げたボールがバウンドしている最中にジャージを脱ぎ裸でリバース)&ホワイトの決勝ラウンドボースハンドレーンアップ以外の二本がインパクト不足だったのが要因なんですが、この時からホワイトは何かこう肝心な舞台では勝てないジンクスが出来上がっていた気がします、毎回優勝候補筆頭ではあるのに。

高校を卒業した後にシンシナティ大学に進学したのですが、ここでもダンクには定評があり2006年の大学のダンクコンテストに出場。

更に、それまでの過程の中でホワイトはそんなん絶対無理じゃろと思われていた、フリースローラインから跳躍しながら股を通す、股抜きレーンアップを成功させていたのです。

これは私の記憶では確か2005年辺り、もう10年程も前になる話で、私がよく趣味で海外サイトを徘徊してダンク動画を集めていた所偶然発見したのですが、もう大はしゃぎで当時流行っていたコミュニケーションツールMSNメッセンジャーを使って友人にリンク送りまくったのを覚えています。

そしてそれもやっぱり今はyoutubeに上がってるんですよね、時代の進歩、技術の進化万歳。

今となってはインパクトが薄いかもしれませんが、当時はホントヤバかったんですよ。

そんなホワイトがまた大学のコンテスト、大舞台に出るというわけでワクワクしたのですが、、、

今度は予選でレーンアップのウィンドミルを成功させ、順調にファイナルに駒を進めながら肝心な所で股抜きレーンアップを決めきれず敗退。

2006 NCAA SLAMDUNK CONTEST(動画では07になってますが)

この頃には既になかなか優勝には恵まれていないものの、フリースローラインから跳ばせたら、

ジェームズ • フライト • ホワイト

が全米ナンバー1だという認識は広まっていた感じでした、それ程までにフリースローラインからの制空権は完全に彼が掌握、彼とタメをはる長距離ダンカーの存在は無かったのです。

そして、彼はもちろん一バスケットボールプレイヤーですからNBAへ入る事を夢見ておりまして、その念願叶って2006年のドラフトでブレイザーズから二巡目31位で指名。

しかし、その後すぐにペイサーズへトレードされ、後の解雇通告、と思いきや今度はスパーズにフリーエージェントで拾われる形になりNBA残留、からのDリーグのオースティンスパーズへ降格。

2007-08にはヨーロッパリーグへ移籍、ここでもダンコンテストに参加しましたが、ここでは他をよせつけず股抜きレーンアップも決め見事優勝、何とも国外だと勝ててしまう切なさ、、、

2009年にはDリーグのアナハイムアーセナルでプレイ、そして10日間契約でロケッツに入団、その年はシーズンが終わるまで何とかロケッツに在籍する事が出来ました。

しかしやはりそこでも与えられた時間で安定した活躍、インパクトを残す事は出来ずまたしてもヨーロッパリーグへ。

ダンクはとにかくものすごいものの、なかなかプレイヤーとして花開かない彼でしたが、、、

ようやく、

2012-2013年シーズン、彼はNBAの舞台に舞い戻る事が出来ました。

移籍先はNBA屈指の人気チーム、ニューヨークニックス。

この年はオールスターシーズンである2月までチームに在籍し続ける事が出来、試合中に迫力あるダンクを決めまくっていたわけではないですが、

もうこの時点で、NBA側もこう考えていたんでしょう。

ジェームズホワイトをNBAのダンクコンテストに。

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彼がNBAに戻って来たのは、もはやプレイヤーとして成功するためではない、彼の今までフリースローラインからダンクをさせたら世界一という実力、それをNBAの大舞台で世に認知してもらいたい。

彼に世界最高の舞台でダンクを。

恐らく彼を知るダンクファンとしての気持ちはこのようなものだったのだろうと思います。

私自身彼の苦労を見て来ていましたから、彼がNBAのコンテストに出ると知った時は本当に心躍ったものでした。

他のNBAプレイヤーも、世界中のダンクファンも、ジェームズホワイトがようやくNBAのダンクコンテストでフライトしてくれる、何だこの跳躍はと世間を驚かせてくれる、そう期待していたと思います。

そして肝心のNBAダンクコンテスト2013。

James White – 2013 NBA Slam Dunk Contest

結果は、、、

予選敗退。

決める事が出来たのは、ボースハンドのレーンアップ、と言ってもラインよりは大分前に出てしまっている不完全なダンク一本のみ、出来としては悪くはありませんでしたが、彼の真の実力を知っている者からしたら本当に残念。

それ以外にレーンアップのウィンドミル、持ち替えての左手のウィンドミルを繰り返しミスし続け、完全に不完全燃焼。

彼のダンクは一本一本相当な距離を走りますから、時間制限があるルールではかなり不利、体力の消耗も激しく一本のミスが精神的にもかなりダメージがあったのでしょう。

やはりジェームズホワイトは、大舞台では勝てなかった… youtubeのコメント欄でも

「彼には失望したよ」

というコメントがかなり見られました、そしてそれはホワイト自身が一番感じた事でしょう。

私としましては、ダンクが思うように決められなかったのはもうしょうがない。

世界最高の舞台ですし、ナーバスにもなるでしょう、それこそ今までずっと夢に見た舞台だったでしょうから尚更です。

しかし、私が一番目についたというか内心ガッカリしてしまったのは、唯一決める事が出来たボースハンドのレーンアップの後、

ジャッジに不満を抱いた事です。

「9点!?」

と。

ハイライトだとそれが分かる動画が無かったので、こちらのフルを貼ります、8:11の所を見て下さい。

NBA 2013 Sprite Slam Dunk Contest Full

これは先ほど貼った高校時代のダンクコンテストと全く同じ、彼はデビッドリーと競い合った決勝、ラストにボースハンドのウィンドミルを決めた後、「俺の優勝だろ!」と言わんばかりに両手を突き上げたのですが、ジャッジの点数を見るや否や、その両手を振りかざし怒りをあらわにしたのです。

10年以上の月日が経っても、彼は変わっていなかった、と私はこのコンテストを見ながら思ってしまいました。

恐らくダンクよりも彼が大舞台で勝てない原因というのはもっと内面的なものなのだろう、そう思わざるを得ませんでした。

高校時代のは確かに総合的に見たら完全に技で勝負したホワイトがリーに勝っていてもおかしくないというかホワイトに勝って欲しかった気はしますが、今回のボースハンドレーンアップは私から見ても9×5の45点で完全に妥当だと思いました。

まさか、あのジェームズホワイトの夢舞台がこんな形で終わるとは想像出来ませんでしたが、それが起こるのがNBAのダンクコンテスト、世界最高峰の舞台なのでしょう。

ただ私としても非常に残念な結果ではありましたが、一度でも彼をNBAのコンテストで見れたというのはやはり嬉しいものでした、ジャッジに不満を抱いていてもダンクを決めきる事が出来なくても、自分が中高の時に憧れた、彼のように跳びたいと願ったジェームズホワイトがNBAの舞台で跳んだ、それは純粋に感動しました。

しかし、実際の所彼がNBAのコンテストの舞台に立った時の年齢は30だったんですよね、既に身体能力のピークは過ぎていたはず、それでもレーンアップでウィンドミルを決める寸前まで跳べていたのはやはり賞賛に値すると思います。

恐らくこれからレーンアップを得意とするダンカーは次々と出て来るとは思いますが、ジェームズホワイト程レーンアップに特化した、正にフライトとなれるダンカーはそうそう現れない気がします。

フリースローラインの制空権を支配したフライト、ジェームズホワイト。

NBAのコンテストで優勝出来なくとも、レーンアップキングはホワイトの称号であって欲しい、そう願います。

今も再びヨーロッパリーグでプレーしているようですが、以前TFBのイベントにも出ていましたし、プレイヤーとして引退を迎えてもダンクの世界には何かしら関わり続けて欲しいものです。

それでは最後にいくつかホワイトのダンク動画をあげておきます。

まず2010 Russian Cupで実現した夢のカード、ジェームズホワイト VS 現サンズ所属のジェラルドグリーン、ヨダレもんですな。

次にホワイトのショートダンクミックス。

スパーズ時代にバックボードの頂点を触ろうとチャンレジしている動画+α。

ラストは、今現在2014-15ヨーロッパリーグでのハイライト。

ではでは、今日はこの辺で。

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About cata.

cata.
96-97シーズンよりNBAを見始め、それがきっかけで中学からバスケを始める。高校ではNBAファンサイトを運営。大学から渡米し7年滞在後に帰国。2015年からツイッターでNBA情報発信を始める。レブロンと同い年の会社員。

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2 comments

  1. 泣ける記事。
    一つの男の人生ですね。
    せめて、もう少し若いときにNBAのダンクコンテストに出て欲しかった。
    もっと彼の身体能力を活かせるコーチに出会えていたら…とか色々想像してしまいます。
    ただ、NBAは身体能力だけでは通用しない、正に心技体の極限レベルの舞台だという事が改めてわかりました。

  2. NNCさん初めまして、訪問&コメントありがとうございます。
    そうですね、ホワイトには25前後ぐらいの時にコンテストで見たかったという思いはあります、、、NBAは本当に身体能力だけでは生き残れず、やはりスキル、そしてハートの面が非常に重要になってくるのでしょう、どれか一つ欠けますとやはりNBAで成功を収めるというのは難しい気がします。

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