今年でかれこれ30周年(97-98、98-99は開催されず)となるNBAダンクコンテスト。
毎年みんな何だ彼んだで楽しみなサタデーの目玉イベントですが、今回の記事ではその長い歴史の中でも私個人的に特に最高のダンクコンテストだったと思う○○○○年のコンテストについて語ろうと思います。
さて、今までの過去記事を読んでる方は、カタさんの事だから2000年のアレでしょ〜あれ最高だったでしょ〜たまらんでしょ〜と思ったかもしれませんが、2000年はインパクトという点ではカーターがあまりにも異次元過ぎたので過去最高だったと言えるかもしれませんが、コンテストとしてはイマイチだったというのが正直な感想です。
だって、
カーターが勝つってもうみんな分かってたんですからね。
確か事前に行われた優勝者予想のファン投票で、85%がカーターに投票してたんですよ、そりゃあもう勝敗決まってるコンテスト程つまらないものはないわけです。
そして、蓋を開けてみたらあしたのジョーじゃなくて案の定カーターの独壇場、そりゃ他のダンカーも全員燃えつきて真っ白な灰と化すのも納得です、コートサイドで安らかな表情になってしまうのも分かりますよ。
井上雄彦氏の過去作、ブザービーターでいう所の、ちきう人の中に一人ゴル星人がまざってたレベルでしたからね。
というわけで、2000年はヤバいけどコンテストとしては微妙だった。
と!!なると、
じゃぁあれでしょ〜88年のジョーダン対ドミニクでしょ〜あれ伝説でしょ〜と思われた方!ノンノン!!!
88年はジョーダンとドミニクという二人のビッグネームから、ネームバリューが先攻してしまって内容的には過大評価されてしまったと私は思っています。
それまでお互いにコンテストで優勝しているものの、なかなか怪我などで直接対決が実現しなかったジョーダンとドミニク、88年はその夢の対戦がついに実現したわけでしたが、
肝心の舞台がシカゴだった。
この時点でこちらもジョーダンの優勝はほぼ決まっていたようなものだったんです。
ドミニクも後のインタビューで「勝てたコンテストだとは思うがいかんせん場所が悪すぎた」と発言しています。
その決勝ラウンドでの二人のダンクですが、ドミニクは一発目にボードに当ててからのワンハンドトマホーク、難易度的にはそこまで高くありませんでしたが、これが綺麗に決まり満点の50。
対するジョーダンは左から踏み切っての両足跳びダブルパンプリバース、これも迫力があり50点満点。
二投目、ドミニクは右サイドから得意のウィンドミルを披露しましたが、ダンク時にバランスを崩し入り方もスムーズではなく着地も乱れながらもなぜか満点の50点。
そしてジョーダンは片足跳びで踏切クラッチしてから八の字を描くようにボースハンドで叩き込みました、これが47点。もちろん会場はシカゴという事もあって大ブーイング。
窮地に追い込まれたジョーダンでしたが、この時点でこのコンテストのシナリオは決まっていたのでしょう。
三投目、もしここでドミニクが満点を出したらその時点で優勝決定、ドミニクは勝てたはずだったのです。
しかしシカゴでそれが起こる事は有り得ませんでした。
ドミニクは三投目、得意のウィンドミルを再び披露しましたが、今回は左から踏み切ってのボースハンドウィンドミル。旋回角度も大きくフープのど真ん中に決まりました。正に完璧なダンクを最後に決める事が出来たのですが、このダンクに対しジャッジは…
45点。
ドミニクの後のインタビューが全てを物語っていました。
「その前の二投よりも完璧なダンクだった、ジャッジの気持ちは分からない。」
そうです、あの場面で満点を出す事はドミニクには許されない運命だったのです。
そして絶好の舞台が整ったジョーダン、最後に披露するのはもちろん…
フリースローラインから踏み切るジョーダンの十八番、レーンアップ(ちなみにこの言葉は和製英語です)。
観客はこれでジョーダンが決めて勝ちだと確信していました、助走を長くとり、フリースローラインから跳躍したジョーダン。
しかしミス。
最高のフィナーレに水を差してしまった感はありましたが、肝心の二本目ではしっかりと決めて来ました。
このジョーダンのラストダンク時にはドミニクも「決めれる、大丈夫だ!」みたいな感じでジョーダンを応援していました。見守る表情は冴えませんでしたが、勝てない事は本人がよく分かっていたのでしょう。
内容的にはお互いに持ち味を出し切ったと思いますし、ジョーダンのラストダンクも滞空時間も高さもあり素晴らしかったと思います。しかしコンテスト全体としてはミス&ジャッジを含め最高だったとは言えないという印象でした。
ちなみに三本の総合で考えるとジョーダンの勝ちだったというのは特におかしい事ではないと素直に思います、場所関係なく。
そんなわけで今挙げましたこの伝説となっている二つのコンテストは、私にとってナンバー1とは言えないという事を語った上で…
そろそろ私が最高だったと思うコンテストを発表させて頂きます。
それは、
2003年、デズモンドメイスン対ジェイソンリチャードソンの対決です。
この年の二人の対戦は、これぞ真の決勝戦だと言わざるを得ない内容でした。
まず、この二人は前年の優勝者リチャードソンと一昨年の優勝者メイスンという正に2000年前期において真のダンク王者は誰か決めるという意味ではもってこいの組み合わせだったんですね。
予選ではお互いに無難に得意な技を披露しリチャードソンは二投とも満点という好調ぶり、対するメイスンはジョーダンばりのゆりかごダンクをミスしながらも修正し、左手でのトマホークも決め決勝に駒を進めました。
そして、この決勝が正にドラマ。
先攻となったメイスンは、決勝に取っておいた両足踏み切りでのBetween the legsダンク(日本ではレッグスルーダンク)を一発で成功。
この両足踏み切りの股通しは当時2000年にカーターが披露したのみで、真新しくインパクトもあり文句なしの満点、一気に会場のボルテージがMAXになった瞬間でした。
ちなみにこのダンクは一昨年メイスンが優勝した時に一度トライして決める事が出来なかったダンクだったんですね、きっと次の機会では決めたいと思っていたのでしょう。
更にメイスンは本来右利きなので左手でダンクをした事が難易度を上げたように見えました。しかしこれは恐らくメイスンにとっては左手の方が難しいからではなく、得意なステップが左右の順で踏み切るスタイルで、彼にとってこの技をやる際は左手の方がやりやすいからであると思われます、その証拠に予選でのトマホークも左手でした。(ちなみにリチャードソンも同じく左右踏切ですが、同様の技をやる際に左手から通し右手でフィニッシュします、要はやり易い組み合わせの問題)
対するJrichことリチャードソン、一本目は一人アリウープからのダブルパンプボースハンドリバースでしたが、ボールがフープに近い位置に上がってしまい、それが影響したのか予選の二本とは異なり空中でのバランスも乱れ気味で身体も伸びきり何とも中途半端なダンクとなってしまいました。
これは流石に各ジャッジ10点を出す事は出来ず、トータルで45点と先行き不安な結果に。(この時のジャッジにジョーダンがいたのですが、なぜか彼だけ10点を出して隣にいるスパッドウェッブから「今のは10点出せないでしょ」と小突かれてました 笑)
さて不完全なダンクに終わってしまったリチャードソンに対し勢いに乗るメイスン。右から両足で踏み切ってのウィンドミルをトライ、しましたがミス。
メイスンは一本目で満点を既に出していますから、ここは何とか無難に決めておきたいと思ったのでしょう。片手でのダンクを止め、結局最後に持って来たのは… あの88年、ドミニクがジョーダンとの死闘の末最後に披露したボースハンドのウィンドミルでした。
あぁ、今振り返るとこの時点で歴史は繰り返す運命だったのね… なんて思います。
決まり方としては綺麗で、ある意味完璧なダンクでしたが、一度前に片手でのウィンドミルをミスしているのと一本目のレッグスルーとの難易度のギャップで点数は43点と伸び悩みました。
同じダンクでも最初に十八番を持って来るか、後に持って来るかで点数が変わって来ますから、非常に難しい所ですね。
そして、リチャードソンにとって絶好の舞台が整ったのです。
勝つには49点以上が必要、ここでは満点が狙える一番インパクトのある持ち技を披露しなくてはいけない。
ここで最後に彼が持って来たダンクというのが…
後ろ向きで外側から股の下を通すリバースダンクでした。
実はこの前年の決勝で彼もメイスンと同じようにレッグスルーでのダンクをトライしていました、しかし彼もまたミスをしていたんですね。
最終的にボースハンドのウィンドミルリバースに切り替えての優勝でした、メイスン同様彼もミスしたこのダンクをいつか決めたいと思っていたのでしょう。
今回最高の舞台でそれを披露したリチャードソン、しかも前年ミスした通常の股通しではなくアレンジを加えたリバースレッグスルー。
一度だけボールをバウンドさせる位置と高さが合わずやり直しましたが、ダンクに行ってからの修正ではないため、ジャッジにどんな技をやるかはバレませんでした。そして一発のダンクトライで見事超ウルトラ難易度のダンクを成功!!
今まで誰もやった事がない、その技を一度のトライで、最後の最後で決めたJrich。
動画を見ると分かると思いますが、この最後の一投が決まった瞬間の会場の興奮はハンパではありませんでした、メイスンもこれを見た瞬間リチャードソンに優勝おめでとうと祝福の握手をしていました。
もうこれぞダンクコンテスト!!!メイスンとリチャードソンというリーグ屈指のダンカーによって実現した最高のコンテストでしたね。
▼1:08から2003年のダンクコンテスト回想▼
ちなみにNBAで披露されたダンク技というのは、ほとんど既にTFB始め多くのストリートダンカーにコピーされていますが、このリチャードソンが披露したリバースレッグスルーに限っては未だにトライする人が少ないのを見ても分かる通り、本当にどれだけ難しいものだったか、そしてそれを最後の最後で一度で決めた彼は凄まじいと思います。
そして彼のダンカーとしてのコンテストに対する姿勢を見ていますと、真の王者はやはりリチャードソンだと思わざるを得ません。
実は彼は翌年の自身三連覇がかかったコンテストでも決勝に進み、その決勝二投目、相手だったフレッドジョーンズが不甲斐ないダンクに終わってしまい、後はリチャードソンが無難に決めれば彼の優勝は確定という場面で彼はあえて360からのエルボー、肘までリングに入れる高難易度ダンクに挑戦して敗れたのです。
あえて簡単なダンクで無難に三連覇を達成するのではなく、自らの限界に挑戦する姿勢、この年は予選でもボードに一度当ててからのレッグスルーダンクを一発で決め更に進化を見せ、決勝でも360からのレッグスルー、そして360からのエルボーにトライするなどダンク技を競う舞台「ダンクコンテスト」において、常に漢を見せて来たと思います。
そんな彼が最高の逆転劇を見せた2003年のダンクコンテスト、これが私にとっての史上最高のNBAダンクコンテスト、でした。
余談ですが、最も感動したコンテストならスパッドウェッブ越えネイトロビンソンというドラマがあった2006年です。ミスをしすぎて他の年なら絶対優勝出来ていませんでしたが、その年に限っては何度でもミスしてOKだったのが幸い。1986年に優勝した170cm(168cmとも言われる)ダンカー、スパッドが優勝したその丁度20年後に同じく175cmと小柄なネイトが優勝、正に運命が味方したという印象でした。
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いやー。自分もJ-rich大好きでした。野性味溢れるダンク。運動能力も高くてGSW時代はイキイキしてましたよね
ボブキャッツ、PHX、ORLに移籍後もアウトサイドからのシュートでそれなりにチームの得点源で頑張ってたのが記憶にあります。
今はシクサーズにいるみたいなんですが、全くと言っていいほど姿を見れてないのが非常に残念です…
NYさんコメントありがとうございます。
JrichのGSW時代はイキイキしてましたねー♪トップ10ハイライトでもよく彼のダンクが出て来てました。
今期はシクサーズとの契約最終年だったものの、右足の疲労骨折で早くも離脱してしまいましたが、必ずや復活してまたダンカーJrichの姿を見せてくれる事を期待したいものです。
しかし2000年前期ってホントJrich初め魅力的なダンカー多かったんですよね〜… しみじみ。