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NBA史上最高のダンカー、ビンスカーター

2015年03月02日
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「NBA史上最高のダンカーは誰か」

NBAと言えば華々しいダンクである、そういったイメージが定着して以来長年に渡って問われ続けて来たこの疑問。

マイケルエアージョーダンだ、ヒューマンハイライトフィルムドミニクだ、Dr.Jアービングだ、人々の答えは常にリーグ屈指のスラムダンカー間で変動して来ていましたが、

丁度ミレニアムとなる2000年を境に、一つの答えが定着し始めました。

「NBA最高のダンカーは、ハーフマンハーフアメージング(半分人間、半分驚愕)

ビンスカーターだ。」

なぜ過去&現役問わず多くのNBAプレイヤーが次から次へと彼の名をベストダンカーとして挙げるのか、みなさんはご存知でしょうか。

それは彼のダンクを見れば、ある意味一目瞭然かもしれませんね。

彼のダンクは、、、確かにものすごいのです。

この回答でFAにする事は簡単ですが、今回はあえて私なりに彼のダンクそのものの凄さ+カーターが最高である由縁を掘り下げて考えてみたいと思います。

少々長くなりますので、コーヒーもしくは梅こぶ茶を両手にお読み頂ければ幸いデス。

それでは、一つずつ順を追って解説して行きます。

類い稀なるボディバランス

まず彼のダンクの特筆すべき点で真っ先に私が思い浮かべるのが、そのボディバランスの良さ、です。

彼のダンクが他のダンカーと異なり特別美しく、かつパワフルである理由はここにあります。

特にアリウープでその点は如実に現れるのですが、通常ダンクに行く際多くのダンカーは身体全体でボールをコントロールしようとします。

ロブが来たら、そのボールをホールドするために身体全体を反らし、しっかりキャッチしてダンクに行く、ごく普通の事ですが、カーターは異なります。

彼は多少パスがずれたとしても身体の軸をブレさせることなく、上体を真っ直ぐキープしたまま、四肢を振り回す事が出来るので、常にまるで翼を広げたような美しいモーションからダンクを叩き込む事が可能なのです。

その例がよく分かる動画がこちら、2000年の対クリッパーズ戦で見せたディーブラウンからのアリウープです。

リーグ屈指のダンカーであればこのパスからアリウープを決める事は其れ程難い事ではないかもしれません、ですが上体を離陸したポイントに残しておきながら腕だけでボールをホールドし、ここまで完璧にトマホークを決める事が出来るのはカーターならではだと思います。

更に、05年のオールスターで見せたバックボードを経由してのセルフアリウープ。

これはマグレディーが得意とする業で01年のオールスターで彼が最初に披露しましたが、マグレディーの魅せたダンクは身体全体を使いボールを両手で保持するものでした。

カーターは「マグレディーが過去にやってたからアイディアをもらったんだ」と言って、05年のオールスターで同じ形でバックボード経由の一人アリウープを行いましたが、カーターがやったダンクというのは難易度が一段階上のモノでした(マグレディーも斜めに走り込みながらボールを跳ね返し横向きで前傾しながらダンクしたのでアレはアレで超凄いのですが)。

カーターはボードから跳ね返ったボールを、上体を起こしたまま右腕一本でホールドしそのままトマホークで叩き込んだのです、これは跳ね返って来たボールの勢いを考えてもワンハンドでは難しいですが、更にそれをキャッチしたと同時に弓を引くようにタメを作って叩き付ける、この一本は正にカーターのダンカーとしての身体能力の高さを感じざるを得ません。

あの一人アリウープで片手でも難しい上に、更にホールドした後タメを作れるのはカーターぐらいだと思います。

カーターのダンクの凄さは、このボディバランスの良さに凝縮されていると言っても過言ではないでしょう。

ダンクに必要な要素を全て持つ男

次にカーターのダンクが優れている理由として挙げられますのが、ダンクにおいて重要なポイントとなる、

速さ、力強さ、高さ、滞空時間、美しさ、そしてクリエイティビティー

これらが全て備わっているという点です。

2000年のダンクコンテストの際、審査員のケニー・スミスは

「ジョーダンとドミニクのコンビネーションだ」

と言っていました。

ガードプレイヤーのダンカーは、高さや速さ、浮遊感などはあってもパワー不足、逆にビッグマンとなりますとパワーはあってもハングタイム、つまり滞空時間がなくあっさりしてしまうというのが通説でしたが、カーターはルーキー時代からそれなりに身体が出来上がっており、高さと滞空時間があるのはもちろん、とても力強いダンクを披露していました。

更に付け加えますと、先ほどあげたようにカーターは四肢を存分に振り回せるため、腕の稼働域もフル活用しているので、その分スピードも力強さも増すというメリットがありました。

キャリア初期にして彼のダンクというものは、それまででは考えられない程洗練され完成されたスタイルを構築していたのです、それはルーキー時代に対ペイサーズ戦でクリスマリンを振り切った後ベースラインから跳躍し叩き込んだボースハンドのダブルパンプリバースを見れば一目瞭然でしょう。

インゲーム、コンテスト共に超一流

そして次のポイントとなるのが、カーターはインゲームでもコンテストでも超一流、という事です。

NBAには数多くのダンカーが存在しており、特に試合中に迫力あるダンクを披露するダンカーをインゲームダンカーと呼びますが、カーターはコンテストで高難易度の技を決める事が出来る上に最高のインゲームダンカーでもある、これが彼が史上最高の”ダンカー”である大きな理由の一つです。

カーターはみなさんご存知の通りコンテストでは伝説級のパフォーマンスを披露したダンク王者。更に試合中ではあらゆるビッグマン(自分が覚えている所で、モーニング、ムトンボ、ラトリフ、ブラッドリー、ベンウォレス、ロビンソン、ダンカン)に対してインヨアフェイスのダンクを決めまくり、アリウープのウィンドミル、リバース360、ダブルパンプリバース、など数々の技も試合の中で魅せてきました。

特にラプターズ時代のカーターのダンクは、お客さん達が彼のダンクを見るためにラプターズ戦のチケットを買う、というぐらい定評のありすぎる一級品だったのです。

伝説の7フッター越えダンク

更にカーターが最強のダンカーである事を語る上で忘れてはいけない事件があります、それが2000年シドニーオリンピックでの対フランス戦。

この試合でカーターは、何と7フッターの相手センターを開脚して跳び越えながらダンクを炸裂させてしまいました。

させてしまった、という表現を用いましたが、試合中相手ディフェンスを跳び越えるというのはほぼ漫画やアニメ、映画の中だけという次元の話であって、誰もリアルで起こる事だとはこの一戦まで考えていなかったのです。

この一本のダンクは、正にリアルと空想の世界間に存在した境界線を断ち切った歴史的な一発だったと言えるでしょう。

私は当時リアルタイムでこの試合を見ていたのですが、あまりの凄さに我が目を疑うどころか、開いた口が塞がらないどころか、むしろ驚きとかそういう次元を通り越して口が開きませんでした、ただ呆然としてしまいました。

そして、カーターがこの日跳び越えたのは180そこそこのガード選手などではなく、218cmもあるセンタープレイヤーでしたから、この一本が伝説となるのも無理はありません、218cmの選手を目の前にして真っ向から跳躍し跳び越える選手なんて誰もいませんからね…

今でもyoutubeのコメント欄などでは、

「最高のダンカーはカーターだよ、シドニーオリンピックでの一発を見たろ、あれ以上にすごいダンクを決めるやつなんていないよ。」

とあの一発でカーター最強でFAにしてしまう人もいるぐらいです、そのぐらいバスケットボール史上最高のダンクだったという事ですね。

さて、ではこの辺りでカーターが最強と言いますか、NBAのダンク界において何れ程大きな存在であるか人々が知らされる事となった、それこそ伝説のイベントについて語る事にいたしましょう。

3年ぶりに甦った2000年のNBAスラムダンクコンテスト

NBAのダンクコンテストは84年(ABAでは76年に一度行われている)から始まりましたが、97年に一度廃止された過去がありました、その理由というのがそれまでのコンテストでダンク技というのはだいたい出尽くした感がある、若干マンネリして来た、これからはもっとダンク以外でオールスターイベントを盛り上げよう、という動きがあったためと世間一般では言われています、真相はハッキリとは分かりませんが、それらの理由で大方合ってると個人的には思います。

というのも、97年にコービーが最後のチャンピオンとなるまで全く持って真新しいダンクというのは90sに入ってからもほとんど出て来なかったからです。

90sのプレイヤーが見せたダンクというのは大半は80sでも見られたウィンドミル、360、リバース、など大きな変化が見られないものでした。

コービーが決勝でやったBTLは94でアイザイアライダーが披露したものでしたし、言ってしまえばライダーがやった股の下を通すダンクというのも80sに当時ブルズだったオーランドウーリッジが外側から通すスタイルに違いはあるものの既にやっていました。

ですので、97年を最後に廃止された時点で、ダンクは創造性という意味でも身体能力的にも限界かと思われていた現状があったのです。

しかし、2000年、ダンクコンテストはNBAの舞台に帰って来ました。

その理由も正確な詳細は分かりません、ただビンスカーターというもの凄いダンカーがNBAデビューしたため、是非彼のダンクをコンテストで見てみたい、という流れがあったのは確かなようです、そしてスティーブフランシスやトレイシーマグレディなどカーター以外にもフレッシュで華々しいダンクを決めてくれる若手が台頭していたというのもあるでしょう。

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2000年という記念すべきミレニアムに帰って来たダンクコンテスト、人々の注目は再び開催されるダンクコンテストでどんなダンクが見れるか、ではなく、

果たしてビンスカーターがどんなダンクを見せてくれるか。

コンテスト前のインタビューでもカーターは、

「みんなカーターが優勝すると言っていますが、プレッシャーはありますか?」

と聞かれ、

「プレッシャーは感じないよ、ただ楽しめればいいと思ってる。」

と人々の関心の高さを感じつつも、自分の良さを出せればと平常心を保っていました。

そして、ファンの期待が高まる中開催された2000年NBAスラムダンクコンテスト。

チームメイトのマグレディー、ロケッツのルーキーフランシスが華やかなダンクを決める中、回って来たカーターの一投目。

カーターは一度ゆっくりとフープに歩み寄り、ダンクの動作を一度確認したようでした。

その後コート左サイドに戻り、両手を軽く上げてストレッチし、ボールをバウンドさせ、

リズムよくステップに入り、、、

カーターが魅せたそのダンクは。

全世界が注目したダンク界を救うべく招かれたその男の一発目は。

人々の高まる期待をも凌駕していた。

それまでダンク技は出尽くしたと散々言われ、マンネリ化し、衰退してきたダンク界を一発で変えてしまった。

通常とは逆方向に360度回転しながら叩き込むウィンドミル。

人々が初めて見る創造性に富んだ一発、

更に、目にも止まらぬ身体の回転、腕の旋回速度、そして圧倒的なパワー。

そして何より、カーターのそれは上からのアングルで見た際にキレイに左右対称となった芸術性溢れる空中姿勢を保っていた。

50点

自分も当時中学三年で丁度日本時間で日曜だったのでテレビで生観戦していたが、この時のアリーナ内は、カーターのダンクがあまりにも凄すぎて興奮の中に呆然が入り交じったような何とも異様な盛り上がりっぷりだったのを今でも覚えている。

「Let’s go home!!」

ケニー・スミスがすぐさまこう叫んだ、

「もう優勝は決まった、さぁみんな家に帰ろう。」

カーターは予選で更にマグレディーにバウンドしてもらったパスを空中で受け取り、両足跳びで踏み切りながら股の下を通す、これまた前代未聞の仰天ダンクを炸裂させ文句無しの100点満点で決勝に進んだ。(二本目はボード裏から助走してのリバース360ウィンドミルだったが、一本目と似ていたという理由でケニースミスに49点をつけられた。しかし予選の得点は高得点2つがカウントされるので1本目と3本目で100点)股を通すBetween the legsダンクは、これまで片足跳びでは披露されていたが、片足では跳躍と同時に踏切の逆足が上がっているため股を通す難易度が低い、しかしカーターは跳躍後に足を引き上げる必要がある両足跳びで決めてみせた。

決勝でもカーターは、肘までリングに突っ込んでそのままぶら下がるダンク、フリースローライン(から足一歩分は出た)から踏み切ってのボースハンドダンクを決め、他を寄せ付けず優勝を果たした。

このコンテストでカーターは、技が出尽くしたと言われたダンクにおいて、試技5本全てNBAで過去に例を見ないダンクを披露したのだ。

しかも、ただ一人6人の参加者の中で高難易度の技に挑戦しながらも唯一ノーミス(BTL時に一度やり直したが、ボールを保持してダンクへ行ったわけではないのでノーカウント、本人曰くマグレディと事前に練習が出来なかったため一度目は高さとタイミングの確認をしたかったとのこと)という抜群の安定感を見せつけた。

このカーターのパフォーマンスにより、それまで人々に植え付けられていた「ダンクはもう発展のしようがない」という幻想が完全に打ち砕かれたのだ。

15年経った今でも、2月のオールスターの時期がやって来ると2000年のカーターのパフォーマンスが語られる。

そして、グリフィン始め今を輝くリーグ屈指のスラムダンカー達も、

「自分が憧れたダンカーはビンスカーターだよ。」

と口々に語る辺り、当時ダンクをし始めた学生達が夢中になって真似をしたのがビンスカーターのダンクなのだろう。

だがしかし、多くのダンカーに目標とされながらも、未だに誰もカーター程洗練されたリバース360ウィンドミルを決める事が出来ていない辺り彼の凄さを思い知らされずにはいられない。

オリジナルにして最強最高、

数年前NBA公式で行われた、NBAスラムダンクコンテスト歴代最高のダンク投票のアンケートで45%を占め堂々の1位になったカーターのダンク。

あれを当時見ていたNBAファン、NBAプレイヤーならきっとこう言うに違いない。

「あんなダンクを決めるやつが最強じゃないわけがないだろう。」

と、いつの間にか当時を思い出しながら入り込んでしまってですます調じゃなくなってましたが、とりあえずカーターが最高と言われる理由として大きなポイントを挙げてみました、細かい点をあげたらもっといろいろ語れそうですけども、、、

私としては、バスケットボールにおいてジョーダン以上のプレイヤーは現れないと言われるのと同じぐらい、

ダンクにおいてカーター以上のダンカーは現れない

と思っています、其れ程彼のダンクというのは他と一線を画していて唯一無二の究極の一発だと言えるでしょう。

まぁ38歳と言う年齢でも未だにダンク一発で観客を唸らせる選手なんていないですよね、、、

それでは最後に、私が最強のステップを誇るダンカーとしてNo.1に挙げたコービーのインタビュー動画を貼っておきます。

2007年、コービーは、Dr.J、ジョーダン、ドミニクの三名と並び、現役のカーターと共にダンクコンテストの審査員に選ばれました。

そして、受けたのがこのインタビュー。

「Dr.J、ジョーダン、ドミニク、カーター、そしてあなた自身、全員過去に王者になった事のあるもの凄いダンカー達ですが、もし彼らが皆全盛期だとして、コンテストで競ったら誰が勝つと思いますか?」

コービー「ビンスだ。

コービー「ビンスは、スペシャルな、本当にスペシャルなダンカーだよ。確かにジョーダンやDr.Jがやったダンクは、彼らの時代では革命的だったけど、ビンスがコンテストで魅せたダンクは、、、信じられないよ。」

正にダンクの神様と呼ぶにふさわしい史上最高のダンカー、ビンスカーター。

今も現役で活躍していますが恐らく引退は其れ程遠くはありません、しかしNBAの舞台を去った後もハーフマンハーフアメージングの伝説は永久に語り継がれる事になるでしょう。

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About cata.

cata.
96-97シーズンよりNBAを見始め、それがきっかけで中学からバスケを始める。高校ではNBAファンサイトを運営。大学から渡米し7年滞在後に帰国。2015年からツイッターでNBA情報発信を始める。レブロンと同い年の会社員。

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