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2度ダンク王者に輝いたジェイソンリチャードソンがNBA引退を表明

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NBAの歴史に名を残すダンカーと言えば、

カーター、ジョーダン、ドミニク、Dr.J、、、

ダンクレジェンドと呼ばれる彼らの名はすぐにあがって来るでしょう。

その理由は素晴らしいダンカーであった事に加え、彼らがチームのエースとして一時代を築き上げたプレイヤーだからと言えます。

しかし、最高のダンカーと言うのであれば、やはり純粋に「ダンク」そのものが何よりも優れているプレイヤーも忘れてはいけません、、、

昨日、そんな「ダンク」において人々の記憶に強く焼き付いたプレイヤーがNBAの舞台を去る決意をしました。

彼の名は、

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ジェイソンリチャードソン。

通称JRichの名で親しまれた、ダンクアーティスト。

 

彼がデビューしたのは今から14年前となる2001-2002シーズン、ミシガン州立大時代からダンクには定評があったリチャードソンはルーキーとしてNBAのダンクコンテスト参加者に選出されました。

この年のコンペティターは、前年の優勝者デズモンドメイスンを始め、2000年に伝説を作ったカーターと競ったスティーブフランシス、キングスの期待の星であったジェラルドウォレス、そしてこのジェイソンリチャードソン。

メンバーとしてはかなりの高レベルな技が期待される流れでしたが、実はこの2002年のダンクコンテストはある意味黒歴史として知られる特別ルールが適用されていたのです。

それが、ルーレット式による強制で披露するダンク技が決められてしまうというもの、一見ユニークなルールかに見えましたが、本来ダンクコンテストというものは各々の選手が得意とするダンクを披露する場であり、このルーレットにより選ばれた過去に披露された事のあるダンクを真似るというのは正にダンカーの個性を殺しかねない、全く持って不得意なダンクを強制される可能性があるという魔のルールだったのです。

そして予選ではほぼ全員がそのルールの餌食となってしまいました、Dr.Jのかなり真似のし辛いというかインパクトを出しにくい一度内側に振ってからのワンハンドゆりかごを引いてしまったデズモンドメイスン、同じくボールを一度右に突き出した後跳び上がりながらウィンドミルでリバースを決めるこれまた独特なDr.Jのダンクを引いたジェラルドウォレス、そして正に最悪の結果となってしまったのが、スティーブフランシス。

彼は両足跳びからの浮遊感溢れるダンクが持ち味でしたが、何とルーレットで80年代にテレンススタンズバリーが披露した彼の十八番、片足跳びでボールを頭上に掲げたまま身体の軸を変えずに360リバティーという、全く持ってフランシスの得意とするダンクと正反対の技を引いてしまったのです、手も大きく無くボールを鷲掴みにするのが大変だったフランシスにとってはかなり鬼畜すぎるルーレットでした。

その結果、何とも中途半端な反転ダンクとなり予選敗退。

しかし、このメンバーの中で唯一予選で神懸かり的な引きを見せたプレイヤーがおりました、それがリチャードソンでした。

リチャードソンは前回の記事で書きました通り、左→右からの両足ステップを用いるダンカーで、なおかつ彼にとって憧れだったダンカーというのが84年の第一回コンテストでウィンドミルのパイオニアとなり、リチャードソンと同じく左足から右足の順で踏み切るダンクを得意としたレジェンド、ドミニクウィルキンスだったのです。

リチャードソンは一投目ではダブルパンプからのワンハンド360を決め、二投目ではチームメイトのアリーナスからのアシストで、このドミニクが得意とするウィンドミルを試みましたが惜しくもミスしてしまいました、この時点でリチャードソンの持ち技の一つがウィンドミルである事が証明されたわけですが、この決める事が出来なかったウィンドミルを三投目のルーレットで自ら引き当てたのです。

この時インタビュアーをしていたレジーミラーの姉であるシェリルミラーが「ドミニクのダンクですが、プレッシャーはありますか?」とリチャードソンに問いかけましたが、

「プレッシャーはないよ、自分は大のドミニクファンだから。」

リチャードソンにとっては、プレッシャーどころか願ってもないチャンスだった事でしょう。

軽く二歩ステップで跳ね上がったリチャードソンは、一度ボースハンドダンクに行くような素振りから一気に腕をフル回転、見事なウィンドミルを炸裂させたのです。

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「ドミニクがコートに舞い戻って来た!!!」

実況も大興奮。

正にコレが運営側が狙っていたであろうルーレット効果、このコンテストで唯一と言えるルーレットによる最高の結果が生み出されたのがこのリチャードソンによる一本でした。

そして決勝に進んだのは、リチャードソンとウォレス、ここでは審査員として参加していたDr.Jが自らルーレットを回したのですが、運命のいたずらか、何とDr.Jは76年のABA時代に彼自身が初披露し伝説となったフリースローラインから片足跳びで踏み切るレーンアップを引き当てたのです。

リチャードソンはこのルールで予選とは一転して地獄を見る事になってしまいました、片足跳びでの飛距離を出すダンクはリチャードソンが最も苦手とするダンクで、解説も「彼は両足跳びダンカーだからこれは難しい」と指摘していました。

その通りリチャードソンはフリースローラインの内側から跳躍、ダンクとは言い切れない中途半端な上から下ろすレイアップのような決まり方となってしまいました。

対するウォレスは両足跳びに加え片足跳びでも迫力あるダンクを決める事が出来るプレイヤーだったので、ラインは越えたもののかろうじてレーンアップに成功。

一気に窮地に追い込まれたリチャードソンでしたが、それでもダンクの神は最後の最後にリチャードソンに微笑んだのです。

ウォレスは最後のダンクに肘掛けダンクをチョイスしましたが、コレが決まりはしたものの腕がフープに入りきらず、全く迫力のない不完全ダンクとなってしまいリチャードソンに逆転のチャンスが巡って来たのです。

そしてリチャードソンがラストに持って来たのは、ボールをバウンドさせてからのウィンドミルリバース。

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身体の回転もスムーズで決まり方も高さもスピードも完璧なダンクとなり49点を獲得(5人の審査員の内一人はインターネット投票で会場にいた審査員は全員10点満点を出したものの、ネット投票得点のみ9点だった。)初出場でダンクチャンピオンに輝きました。
 

こうしてこの年ダンカーとしての素質を見事に発揮してくれたリチャードソンは、翌年の2003年のコンテストにもディフェンディングチャンピオンとして出場することになったのです。

2003年のコンテストは、私が過去記事で史上最高のコンテストと評しましたが、正にリチャードソンがNBA史上最高のダンカーの一人と称される事になったきっかけとも言える伝説のコンテストでした。

前年に競い合った一昨年の優勝者デズモンドメイスンと再び対決する事になったリチャードソン、予選では一人アリウープからのウィンドミル、そして360を披露し満点で決勝へ。

そして、メイスンと競い合った決勝が本当に手に汗握る展開となったのです。

メイスンは2001年にチャンピオンになった時に一度失敗していた両足跳びでの股通しダンクを一発で成功、二投目にボースハンドのウィンドミルを成功させディフェンディングのリチャードソンにプレッシャーをかけました。

決勝一投目は、ボースハンドのダブルパンプリバースを披露したリチャードソンでしたがトスがフープに近くなってしまい叩き込むというよりもフープに落とすような迫力不足なダンクになってしまい、二連覇に黄信号が灯りましたが、

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最後の最後に、リチャードソンは前代未聞のリバースレッグスルーダンクを見事一発で成功させ観客を総立ちにさせたのです。

誰も決めた事がなかった超難易度の技を一番重要な場面で一発で決めて来たリチャードソン、02、03と二連覇と果たしあのジョーダンが87、88年に達成した偉業にただ一人肩を並べる事となりました。(2度優勝はドミニクも、後にネイトロビンソンが二連覇含めた3度優勝)

 

名実共に最強スラムダンカーの地位に上り詰めたリチャードソン、彼は続く2004年もディフェンディングチャンピオンとしてコンテストの舞台に戻って来ました。

この年は2000年に不完全燃焼に終わったリッキーデイビス、ナゲッツから白人ながら優れた跳躍力を持っていたバードマンことクリスアンダーセン、ペイサーズから二年目のフレッドジョーンズ、そしてリチャードソンの4人でした。

そして予選のビッグハイライトはやはりこの人、リチャードソン。

例年予選では大技を温存して来ていた彼でしたが、この年は予選から大技を披露。

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それは一度ボードに当てて跳ね返したボールを両足跳びで股の下を通す、前年に引き続きこれまた前代未聞の高難易度ダンク、これには審査員も総立ちで10点ボードを掲げる文句無しの満点。

リチャードソンと共に好調ぶりを見せたのはフレッドジョーンズ、一人アリウープからのワンハンドダンクと面白みはあまりありませんでしたが手首を返しながら叩き込んだため迫力が増し満点を獲得、続けて片足跳びでのボースハンドのウィンドミルリバースを決め決勝に駒を進めました。

この時点で大方リチャードソンが三連覇を達成するのでは、といった空気が漂っていましたが、先行のフレッドジョーンズが見事なエビそり360を決め満点のスタート。

続くリチャードソンは予選で見せたオフザグラスレッグスルーを越える360のレッグスルーにトライしましたが、数度試みるも決めきる事が出来ず、最終的に前年、そして一昨年も披露している360のパンプダンクに切り替えました。

これが45点と数度ミスした後のダンクとしてはそこそこの得点となりましたが、5点差をつけられ三連覇に黄信号が灯ったリチャードソン、それでもダンクの神はリチャードソンを見放しませんでした。

フレッドジョーンズの決勝二投目、観客席から投げられたパスをアリウープしようとしましたが、これがすっぽ抜けそのままイン、これがダンクとみなされ36点。

この時点でフレッドジョーンズは86点、リチャードソンは45点ですので、42点以上であれば優勝は決定となったのです。

とりあえず無難に普段リチャードソンが披露している技を一発決めれば三連覇は確定という状況だったのですが、、、

リチャードソンは、最後の一発に360からのエルボーダンクと再び大技に挑戦。

そして痛恨のミス、これには彼の漢気を感じざるを得ませんでした。

彼はきっととりあえず目先の優勝だけのために無難に決めた所で、自らが納得出来ない勝利は意味が無いと思ったのかもしれません、勝つなら勝つに値するダンクを決めて優勝する。

決勝の一本目はセカンドオプションの360でしたから、二投目も無難ダンクを決めてチャンピオンになる事は彼のプライドが許さなかったのでしょう。


2004年に敗退してからはリチャードソンが再びダンクコンテストの舞台に戻って来る事はありませんでした、それ以降出場の打診があったかは謎ですが、2005年も出場していればきっとスゴいダンクを披露してくれた可能性はあったでしょう、しかし恐らくこの2004年のコンテストは彼にとって良い引き際だったのかもしれません。

 

今まで数多くのトップアスリートがNBAダンクコンテストに出場してきましたが、私にとってJRich程ダンクに対する姿勢をリスペクト出来たプレイヤーはいなかったと言えます。

JRichは道具に頼る事無く自らの身体能力のみを駆使して常に「技」で勝負をしてきました、そして毎年ダンカーとしての進化を見せて来た上、最後の最後まで相手との勝負以上に自分との戦いを意識してダンクを追い続けて来たと思います。

更にJRichは、ゲームタイムでもオープンコートでは毎回360、もしくはウィンドミルとチャンスがあれば技を披露してくれましたし、360ダンクをしようとして後ろからレブロンにブロック(でもぶつかり方的にはファール)された事もありましたが、そのショーマンシップは一ダンカーとして本当に見事なものでありました。

史上最高のダンカーだと私が思うカーターはダンカーとしてのイメージが強くなってからはファーストブレイクでもダンクをせず、あえてレイアップをしてブーイングをくらう事があったり、その実力そのものは文句のつけどころがない程であっても、常に純粋にダンクを追求していたかと問われると疑問な所があるのは事実です、それが悪いわけではもちろんありません、カーター程のインパクトを残せば彼なりの葛藤があったのは当然とも言えますから。

そしてコンテスト初期ということで時代の流れもありますが、ジョーダンやドミニクは数度コンテストに出場しながらも意外性のある新技をトライするという姿勢は見せませんでした。

そう考えますとJRichはトップダンカーの中でも本当にダンクに対し誠実であったと言える気がしています、ショーマンシップを忘れない、そして毎年新技をクリエイトするあくなきチャレンジ精神、更に優勝の功績よりも己自身との競争を重視する漢気。

JRichはダンカーとしてだけではなく、ウォーリアーズ時代には05-06シーズンに平均23.2得点をあげるなどスコアラーとして着実に進化している姿を見せましたが、その後ボブキャッツを経由してサンズでカンファレンスファイナルまで進んだ以降はマジック、後にシクサーズと膝の怪我などもあり満足の行くプレイは出来なくなってしまいました。

それでも彼は自分の出来る仕事を着実にこなし、我を主張する事はなくどのチームでも安定した働きを見せてくれたのです。

2010年のレイカーズとのカンファレンスファイナル第4戦の事でした、控えのバルボサが波に乗っていたのを見て、ジェントリーHCが元々スターティングメンバーであったJRichをコートに戻そうとした際、バルボサの調子が良いから彼を使った方が良いと思う、と自ら進言した事もありました、正に彼の人柄を象徴するような出来事と言えるでしょう。

 

彼はチームのエースとして特別優れたスタッツを残したわけではありません、チャンピオンリングを取ったわけでもありません、オールスターにも一度も選出はされておりません。

それでも今こうして引退の時を迎えて、各所でニュースとして取り上げられ、NBA公式からハイライトが作られ、NBAファンが彼の去就を嘆くのは、やはりそれだけの理由があるという事ですね。

一月前にホークスと契約したニュースを聞いた時は、またJRichのスパイクダンクが見れる!と思いましたが、先日のMRI検査で骨棘である事が判明し、これからの将来を考えて膝へ負担をかける事を避けたいと引退を表明したようです、家族のためにもしっかり身体を癒してまた元気に新たな人生を歩んで欲しいですね。

 
こちらのスイングマンジャージはアメリカにいた頃に購入して以来ずっと部屋に飾ってあります。
 
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真のスラムダンクチャンピオン、ジェイソンリチャードソン。

彼が魅せてくれた素晴らしいダンクの数々は永久に色褪せる事はないでしょう。


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About cata.

cata.
96-97シーズンよりNBAを見始め、それがきっかけで中学からバスケを始める。高校ではNBAファンサイトの運営に夢中になり青春を台無しにする。大学から渡米し7年滞在後に帰国。三度の飯より四度の飯が好きってぐらいダンクを愛するB型アラサー。

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