一昨日の金曜日は、9月25日。
その日はバスケットボール史において、歴史的な出来事が起こった日である事はみなさんご存知でしょうか。
今から15年前の9月25日、そう15、ラプターズ時代のカーターが着けていた背番号分遡った2000年の事です。
その年は4年おきに開催されるオリンピックの年、開催地であるオーストラリアのシドニーにUSAドリームチームが集結していました。
そして、9月25日はそのUSA代表チームとフランスとの試合が行われる日だったのですが、この日バスケットボール史上最も驚愕に値するプレイが飛び出すとは誰も予期していなかったでしょう。
そのプレイを生み出したのはNBA最強のダンカー、ビンスカーター。
そしてそのプレイというのが、、、
218cmの相手センターを開脚で跳び越えてのワンハンドトマホークダンクです。
相手ディフェンダーを跳び越えてのダンクというのは、かつて現ウルブズのケビンガーネットの高校時代のチームメイトであった伝説のダンカー、ロニーフィールズがハイスクールの試合で決めていましたが、この時相手ディフェンダーのセルジオマクレインは姿勢を落とし気味で、身長も193cmと決して大きくはありませんでした。
フィールズのダンクももちろんスゴいのですが、今回のカーターが越えたのは直立している状態の218cmもあるセンタープレイヤー、その難易度たるや想像を絶するものだった事でしょう、更に舞台はオリンピックという世界中が注目するゲーム。
カーターはボールをスティールした時、彼が目の前にいるのは当然分かったものの、それよりもフープに集中していたため何も考えず跳び上がっていたようです、そして気付いたら跳び越えてダンクを決めていた、、、と。
後のインタビューで語ったのですが、カーターは試合後そのビデオを振り返るまで自分がそのプレイを決めた事に対し実感が無かったそうです、そして後日代表チームの練習中にチームメイトを跳び越えてみようと試みたそうですが、つまづいたり、ダンクが決められなかったりで、あの試合と同じようなダンクを決める事は全く出来なかったと言っています、それぐらい本人にとっても信じ難いダンクだったらしいです。
”The Dunk of Death(死のダンク)”
そう名付けられた歴史的なダンクを振り返ったドキュメンタリーですが、218cmのワイスはカーターに跳び越えられ幾度となくポスタライズされた姿を曝され、
「シドニーでカーターに跳び越えられた選手」
というイメージが定着し、ニックスからドラフト指名されていたものの結局NBAに入る事がなかった事を考えますと、正に「死のダンク」という表現はしっくり来る気がしますね。
このディフェンスを跳び越えてダンクを決めるカーターのプレイが全世界に広まってからは、コンテストでは頻繁に人を立たせて跳び越える光景が見られるようになり、試合中でもカーターと同じように開脚でディフェンスを跳び越えるプレイヤーが現れるようになりました。
どの分野でも「絶対に無理だ」と思われている事が何者かによって達成された時、「出来るんだ」と人々の意識のリミットが外れるものですが、このカーターのワイス越えダンクも正にそれを象徴する出来事と言えます。
しかし218cmの選手を試合中に跳び越えてダンクを決めるというのは、後にも先にもカーターぐらいな気はします、2000年のダンクコンテストで見せたリバース360ウィンドミルを越える程の同スタイルのダンクが未だかつて出ていないように。
今から更に15年、あれから30年経った時も、バスケットボール史上最も偉大なるダンクとして再びこの伝説が語られている事でしょう。
シドニーオリンピック2000 カーターのダンクまとめ↓
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ダンカーとしてカーターを越える人はいませんね。僕はカーターのダンクの中でも360°が一番好きですね(  ̄▽ ̄)他の選手の360°と比べてすごく綺麗なんですよね。
ゆうきさん初めまして、コメントありがとうございます。
ダンカーとしてカーターを越える人はいないとの事ですが、私も同感です。カーターの360は軸が安定していてキレイですよね、ちなみに私は彼のシンプルなトマホークに特に美を感じています♪