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NBA史上最も奇想天外な魔術師 – ジェイソンウィリアムス

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この長いNBAの歴史の中で、人々の記憶に止まり続けるスター選手というのは数えきれない。

そしてその大半はスタッツを見ればそのすごさがある程度伝わるものだが、中には一つ一つのプレーの輝きだけで語り継がれる選手もいる。

その代表的なプレイヤーとして今回挙げさせて頂くのが、

ロックアウト(シーズンが短縮されレギュラーシーズンは計50試合のみだった)のシーズンにNBAデビューし、数々の奇想天外なプレーを生み出した、

 

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Jwillこと、ジェイソンウィリアムス

 

彼はマーシャル大とフロリダ大でプレーした後に、98年のドラフトで一巡目全体7位でサクラメントキングスより指名される。

そのルーキーシーズン、レギュラーシーズン50試合全てにスターターとして出場、早くもチームの柱として活躍した彼だったが、ルーキーながらチームをコントロール出来る司令塔の能力、よりもまず何より目立っていたのが、彼の持つ類い稀なるパススキルだった。

 

彼のそのパスというものは、それまでの常識を覆すものであり、その天性のパスセンスは見る者を多いに魅了した。

基本的にはバスケットボールにおいてパスとして使用されるのは、胸の前から一直線に突き出すチェストパス、肩から放り投げるショルダーパス、頭上からディフェンスの頭を越すように渡すオーバーヘッドパス、この辺りがベースとなるが、ジェイソンウィリアムスは、背面から投げるパス、頭の後ろ、身体の真横、などありとあらゆるスタイルでボールを供給していったのである、どの位置でボールを保持していようが、隙を見つけたらその時の体勢などは関係なくそこから瞬時にパスを捌く。

そんな彼が展開するゲームは、見る者をとことん魅了し、一気にサクラメントキングスをリーグで最もエキサイティングなチームに変貌させてしまったのだ。

丁度彼のデビューと同時にウィザーズから移籍して来たNBAでも既にスーパースターとして認知されていたクリスウェバーの存在も大きかった、まるでペイトンケンプを彷彿させるワンツーパンチでリーグに旋風を巻き起こした。

更に単純に優れたパッサーというのは当時もリーグには溢れていたが、人々は彼を、かつて魔法使いと称されたピストル ピートマラビッチの再来と讃えた、またある者はNBA最高のポイントガードマジックジョンソンのパスと彼のパスを比較した。

恐らくジェイソンがそれだけの評価を受けるパッサーになったのは、一部の天才しかクリエイト出来ないパススキルを持っていたからであろう。

それは、かつてマジックやマラビッチも備えていた、

マークされている選手をモーション一つでノーマークにしてしまう能力である。

ジェイソンのハイライトを見れば分かると思うが、彼はフリーになりきっていない味方選手に一度ボールを渡す素振りを見せるフェイクを絡め、それによりそのマークマンの動きを止めつつ、味方選手の動きに合わせて再度フリーでボールを受け取れる位置にボールを捌く、という天性のスキルを持っていた。

広いビジョンを確保し、フリーとなった選手にすぐさまボールを渡せるガードは優秀である、しかしジェイソンのように自らのモーションで見方をフリーに出来る選手というのはまず存在しない、それこそNBAにおいてレジェンドと呼ばれるマジックやマラビッチぐらいである。

ジェイソンはその動きに加え、どのタイミングでも、どの体勢からでもパスを出せる能力を持っていたため、味方でさえもボールを見失ったり、いつボールが飛んで来るか分からないとヒヤヒヤさせてしまう程のプレイヤーであった。

そんな彼のプレースタイルを人々はクレイジーと称した。

そして、ジェイソンは何とその「クレイジー」を日本語に直訳した「気違い」という文字のタトゥーを右腕に入れ、2000年に東京ドームで行われたジャパンゲームの際、それは放送出来ないとテープで隠すよう指示されたというエピソードがある程中身もクレイジーであった(笑)

(こちらはマジック時代の画像だが、右前腕に注目)

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実は彼自身大学時代に大麻を使用し、チームを追放され、その後2000年にはNBAの薬物追放プログラムへの参加を拒否し、シーズン最初五試合を出場停止処分を受けたりしていた。

プレーもクレイジーながら、私生活でもクレイジーさを露呈していたジェイソンだが、彼はその存在によりNBA、そしてバスケにおいての常識をくつがえすプレースタイルを生み出したパイオニアとして人気を博したのである。

パスに関しては既に説明した通りだが、ガードの基本となるドリブルはとても高い、通常はドリブルは低くつくものというのが定説だったが、ジェイソンのドリブルはとても高く、一見スキが多いように見受けられた。

更に、ガードは冷静にゲームを組み立てなければならない、しっかりボールをキープしてセットオフェンスからゲームを展開していくのが仕事であるはずが、自分がフリーとみるやいなやボールをフロントコートに運んだ瞬間3ポイントを放つなどチームの流れを無視したプレーも時折見せていた。

そんな彼のプレーはバスケットボールを一から知るものからしたら、決して認められない模範とは程遠いプレーだったかもしれない、しかし人々の目にはそんなジェイソンのプレーはとても新鮮に映ったものだろう、もちろんこの私も例外ではない。

ドリブルはむしろ高い方がリズムがつかみやすい、いきなり3を打つというのももし決まれば一気に流れを引き寄せる事も出来る、など彼のプレーから学んだ事は多いのは事実だ、そして何より彼のプレーは見ていて、とてもワクワクした

純粋に彼程プレーを目で追っていてワクワクするプレイヤーというのはNBAで他にいたかと問われると本当に思いつかないのである。

そして、白人でありながらまるで黒人のストリートボールスタイルを取り入れたようなトリッキーなプレーを連発していた彼につけられたニックネームは、

ホワイトチョコレート、外見は白人だが中身は黒人そのものという表現だ

彼はスタッツだけを見ればそこそこ活躍した一プレイヤーとしか認知されないかもしれない、オールスターには一度も選出されていないし、オールルーキー1stチームには選ばれたが他に目立つ個人賞もほぼ取っていない、唯一輝かしいキャリアとして2006年ヒートに所属しウェイドやシャックと共にNBAチャンピオンとなった事ぐらいだ(プレイオフでは全試合スターターを務めたので純粋にすごい事ではあるが。)

しかし、人々の記憶に残る輝かしいプレーを披露したと言う意味では、彼程インパクトのあった選手はいないかもしれない、後にグリズリーズへトレードされ若干プレースタイルに変化は見られたものの彼に流れるショーマンとしての血は引退するまで健在だった。

今でも多くのNBAファンがかつてのジェイソンウィリアムスの展開したようなゲームを見たいと望んでいるはずだ、しかしそれがいかに特別なものだったか、ジェイソンが引退して改めて皆実感していると思う。

2000年オールスタールーキーチャレンジでは、二年目チームのPGとしてプレーしたが、後半にリーフラフレンツに出したパスはもはや語り草となっている。

左手でビハインドザバックと見せかけて、右腕の肘に当てて逆方向にパスを出した、NBAで培われたスキルとストリート仕込みのクリエイティビティーが融合したスタイルがそこに存在した。

NBAでは、もう二度と現れないであろうオンリー1のスター選手がたまに頭角を現すが、このジェイソンウィリアムスがその代表格である事は疑いようのない事実である。

それではこの記事の締めとして、伝説の魔術師、ジェイソンウィリアムスの奇想天外なプレー動画を片っ端から貼らせて頂こうと思う。

 

 

ザ スタイル ハイライトミックス。

グリズリーズ時代のハイライトミックス、2001-2002。

94年からのハイライトミックス。

マラビッチの再来と言われたジェイソン、2000年に発売されたNBA Now Showmen of Todayで今を輝くスター選手として取り上げられた。

NBA StreetシリーズのVol.1 アンクルブレーカーズでの特集動画。

ジェイソンの私生活の様子。

38歳になった今でもホワイトチョコレートは健在。

 


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About cata.

cata.
96-97シーズンよりNBAを見始め、それがきっかけで中学からバスケを始める。高校ではNBAファンサイトの運営に夢中になり青春を台無しにする。大学から渡米し7年滞在後に帰国。三度の飯より四度の飯が好きってぐらいダンクを愛するB型アラサー。

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