今日のNBAにおいて欠かせない戦略の一つとなっている3ポイント。
本日はそんな3ポイントの歴史に触れた動画をご紹介したいと思います。
内容は全て英語ですので、聞いた通りに直訳した文も添えさせて頂きます。
「The 3-pointer has gone from ignored novelty to deadly weapon」 |
「NBAで3ポイントラインが適用された1979年シーズン、ほとんどのチームはそれを有利に活かすのに時間がかかりました。
その年はクリッパーズがチーム全体で543本の3を試投しましたが、今シーズンのステファンカリーは一人で646本の3を放っています。
35年間に渡って3ポイントラインが適用されていますが、3ポイントを試投する本数は今では10倍にも昇りました、いかにしてここに辿り着いたのでしょうか。
その転機となったのは1987年シーズンに起こった3つの出来事が挙げられます。
まずこの年にデンバーはマイケルアダムスという選手の3を磨き上げ、彼はNBAで初めて303本の3を放った選手となりました、そして翌年には400本以上、その二年後には500本の記録を作りました。
2つ目は、87年にニックスがプロビデンスでFINAL FOUR(大学のディビジョン1のチームによるトーナメントの準決勝と決勝戦)まで3ポイントを中心とした戦術で勝ち上がったリックピティーノを監督にした事、彼が指揮を取った二年目には1100本の3を放ち16年間でチーム最高勝率を挙げました。
そして3つ目は、1987年にペイサーズが11位指名でレジーミラーを獲得した事、彼は1998年の時点で既に3ポイント成功数でトップに立ちました。
3ポイントが無ければ、レジーミラーは8秒で8点取る事は出来ませんでした。
マイケルジョーダンがブレイザーズとのシリーズで前半のみで35点も無理でした。
ジョンパクソンがサンズに悲劇の帰還をもたらす事もありませんでした。
ジョンストックトンがジャズをファイナルに導く事もありませんでした。
LJの4点プレイも起こりませんでした。
レイアレンがレイカーズを第6戦で敗る事もありませんでした。
別の年の第6戦で大逆転の末スパーズに勝つ事もありませんでした。
そして、3ポイントを打てるビッグマンも出始めました。
90年代中期にはクリフォードロビンソン、ビッグショットロブ、後にターコルー、ラシードウォレス、忘れてはならないのがダークノヴィツキー。
2009年には全てのチームが1シーズンで最低1000本以上の3を打つようになりました。
もしチームが負けている場合、3ポイントは脅威のスピードで追いつく武器になります、そして勝っている時には、まるで鉄道の釘となって相手の墓にトドメを刺します。
今日、ベストチームには1人だけではなく、二人の恐ろしい暗殺者が弧の外側にいます。
ゴールデンステイトには、スプラッシュブラザーズが。
対するクリーブランドには、カイリーとJRスミスが。
NBAファイナルを制するには、4試合勝たなければなりませんが、そのためにはまず3を決めなければなりません。」
という内容でした、
3ポイントが無い時代は、それこそひたすらリングに近づいて得点を挙げた方が確実ですし、だからこそセンタープレイヤーが輝いていましたが、そうなりますとゲーム自体は非常に地味に感じられてしまうんですよね。
3ポイントが生まれた事によってバスケットボールは一気にエキサイティングになりましたし、何より小柄なガードプレイヤーが生きる道の幅を広げたというのは本当に大きな事だと思います。
実際の所、男女共に世の中ビッグマンより遥かに小柄な人の方が多いわけでして、彼らにとってより有利になる=バスケの人気が上がる事につながりますから、バスケットボールというスポーツにおいて3ポイントというのは非常に有意義なルール改正であったと言えるでしょう。
そしてよくよく考えてみれば、世界的にバスケの人気が飛躍的に上がったのって丁度3ポイントが普及し出した80年代辺りなんですよね。
NBAではマジック&バードの全盛期ですが、特にバードは3ポイントが無ければあれ程のレジェンドにはなれていませんでしたから、3ポイントがあのレイカーズ&セルティックスのライバル対決を盛り上げたといっても過言ではないかもしれません。
ちなみに過去記事に書きましたが、私が初めて憧れたプレーは3ポイントでしたので、3ポイントがもし無かったらバスケはやっていなかった可能性も大いに有り得ます。
単純に、3が無かったらフープ近辺でのシュートを練習するはずですから、だけどそれは私にとってはあまり面白くない(インサイドプレイヤーの皆様すみません、、、)。
3ポイントは、面白い、とても。
これはインサイドアウトサイド関係なくバスケをプレーした事がある方なら皆が同意するのではないでしょうか。
私はそもそも3ポイントという面白いシュートがあるからバスケをやったと言える気がしています、正に3あってのバスケ人生ですね。
そしてバスケをやっていたからこそNBAに興味を持ち続け、アメリカにも興味を持ち続け、1998年に中学二年で初渡米して、何でか知らんけどボストンで日本からの研修学生って事で地元の新聞記者にインタビューされ、
「アメリカで興味のある事はなんですか?」
と聞かれ、
「NBAですん!」
と答え、
「好きな選手は誰ですか?」
と返されたので、
「ジョーダン!あと二年目のコービー!!今シーズンのレイカーズ最高!!」
と、ピュアハートを持ちすぎたばかりに正直に答えてしまう運命になってしまったわけですね、しかもそれが自分の名前入りでそのまま新聞に載ってしまったという苦き思い出。
今の私なら恐らく、
「そうですねぇ、私は3ポイントが上手い選手が好きなので、バードは筆頭ですね。後キャリアという意味では、ビルラッセルを一番尊敬しています、ボストン最高、オゥイエス。」
とかいう模範解答していたでしょう、大人になるって怖いね、ホント怖い、うん。
とまぁそんな感じで、3ポイント「あいつはワシが育てた。」感がある私ですが、今の世の中スプラッシュブラザーズ含め3ポイントに育てられた選手は非常に多いと思うので、これからそういった選手を中心にどうゲームが展開していくか、それを楽しみにしながらレイカーズの試合をコートサイドで眺めるジャックニコルソンの如く縁側で茶を啜りたいと思います。
もし近所のガキんちょが3外して敷地内にボール飛ばして来たら
「ゴール下を制する選手はゲームを制す!!3を打つなぞ半年早いわ!!鼻タレが!!」
といった説教は垂れずに、あえてこちらから3勝負を仕掛けフルボッコするお爺さんになりたいと思います、3 on 3とかに誘われたら「ワシはもうラブの肩と、アービングの膝と、ついでにレブロンの頭を抱えたようなコンディションじゃから無理、無理ゲー。」と颯爽とランナウェイします。
それでは最後に締めとして、youtubeにあがっていた歴代トップ10 3ポイントシューターの動画とベストシューター3人のシューティング動画を貼っておきます。
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