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レイカーズのコービーブライアントが引退を表明、20年のキャリアに終止符

2015年12月01日
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一つの時代が幕を閉じようとしている。

 

コービーブライアント、引退。

 

 
NBA史上最も偉大な選手の一人であり、レイカーズの歴史に名を刻んだ名プレイヤーがコートを去る決意を固めた。
 

ここ2シーズンはアキレス腱、膝、肩の怪我で手術を繰り返し、ゲームから遠ざかっていたコービーだったが、今シーズンは開幕戦から復帰、華麗なる復活を期待したファンも多かったが、20年にも渡ってポストシーズン含め1500試合以上もこなしてきた身体は既に限界に達していたのだろう。

今シーズンはチーム最多の一試合16.7本のシュートを放つものの決定率は31.5%、身体の負担を考えて外からのショットを増やしたのか3ポイントは6.8本中1.3と19.5%。今でもチームの主軸としてオフェンスを展開してはいるものの、ショットが全く安定せずエアーボールを放つことも少なく無い、更に全盛期は相手にとって脅威であったペネトレイトもほぼ見られず、ディフェンスも引き付けられずこれといった武器が全くない状態となってしまった。

それでもシュートを打ち続ける姿勢は、コービーらしいと言えばコービーらしいが、何しろ今シーズンのコービーを見ていて今までと異なると感じたのは、ゲームに対しての気持ちに乱れが生じている事だった。

シュートを外した後に大きく項垂れ、ディフェンスに戻る事も怠り、ふてくされる姿勢を見せるようになってしまった、かつてのコービーであれば一目散にディフェンスに戻りゴールを死守しただろう、自分の調子うんぬんに関わらずそれは「勝利」に必要な事だからだ。

今のコービーを見ていると、思い描く自分の姿と現実の自分とのギャップの狭間で困惑し続け、第一にゲームに勝利するという事よりも、本来の姿を取り戻す事を優先にまだ自分は出来るんだという事を証明するために必死になっているように見受けられる、まさかここまで思い通りのプレイが出来なくなっているとは、こんなはずではない、とシュートを外した後の素振りも今の自分に対しての怒りの表れなのかもしれない。

成功者は大いに持ち上げられ、敗者は叩きのめされる、開幕19連勝を華々しく飾り今をときめくウォリアーズのエース、ステファンカリーとは対称的にコービーに対する風当たりは強かった、その直接対決となったウォリアーズの開幕連勝記録がかかった試合では14本中1本しかシュートを決める事が出来ず敗退した。

かつてのコービーであればそんな批判をはね除け自らのプレイで周囲を黙らせた事だろう、しかし現在のコービーは過去のコービーではない。

シーズンがスタートしたものの不調が続き、黒星を重ね続けた際、コービーは自らをこう語った。

 

「I’m 200th best player in the league right now. I freaking suck.」

「自分は今リーグで200番目に上手いプレイヤーだ、超下手くそ野郎だ。」

 

しかし、実際の所は200番目よりも更に下だと見ているファンは多いだろう、シュート試投数と成功率、そしてショットセレクションを見ればそれは不思議ではない。

現在NBA規定の試投数に達しているプレイヤーの中でコービーは31.1%、122人中122番目と最下位、更に3ポイントも19.5%と103人中最下位と散々な結果に終わっている。

コービー同様NBAのレジェンドであったチャールズバークレーは、「自分が引退を決意した時、いかにしてそれが引退の時だと悟ったのか」という問いに対し、

 

「それは俺がポンプフェイクし始めた時だ、そして今コービーはそれをしている。彼はディフェンスにショットを弾き返されるのが怖いんだ。それがポンプフェイクというものだ、ディフェンスがスタンドにボールを飛ばしてしまうんだ。」

 

確かに今シーズンのコービーはポンプフェイクを多用していると言える気はする、それはポンプフェイクなしでディフェンスを振り切るのがもはや至難になってしまったからとも言えるだろう。そしてタイミングをずらしてショットを放てたとしてもそれが決まらない。

 

“Nothing Left.”

“もはや彼には何も残っていない。”

 

このコメントが頻繁に見られるようになった、厳しい発言だが、それが現実を物語っているのは事実なのかもしれない。

 
私個人的に、正直コービーはプレイし続ける限り相手にとって脅威であり続けると思っていた、それは私が96-97シーズン、コービーがデビューした年にNBAを見始めて以来ずっとコービーの活躍を見続けて来ていたからだろう。

コービーは高卒ルーキーとしてホーネッツに指名され後にレイカーズにトレード、それからというものレイカーズの顔として、そしてジョーダン無きNBAを最前線で支えたプレイヤーだった。

二年目には初オールスターに選出されたが、LALでは6thマンという立場ながら最年少スターター選出されたのは、彼が後に何れ程偉大なプレイヤーになるかという未来を暗示していたように思えてならない、ジョーダンとの祭典でのマッチアップは今でも脳裏に焼き付いて離れない。

三年目となった98-99シーズンはロックアウトによりレギュラーシーズンが50試合に短縮されてのスタートだったが、ジョーダンが引退した後のシーズンだけあって異様な雰囲気が漂っていたが、そのレイカーズの初戦、ブルズから移籍後のピッペンを要する対ロケッツ戦でコービーは25点10リバウンドのダブルダブルで勝利を飾った。

当時は毎朝新聞で試合結果をチェックするしかなかったが、某スポーツ新聞の見出しで、

「神がいなくても、俺がいる」

という見出しでアフロの8番が大きく取り上げられていたのを覚えている。

神の後を引き継いだコービーは、かつてジョーダンと共に6度の優勝を果たした名コーチ、フィルジャクソンと共に翌99-00シーズンから3連覇を成し遂げた、22歳という若さで既に3度頂点に立ったコービーだったが、当時はシャックがいなければ優勝出来なかったと言われ、更にあまりパスを回さないスタイルから自己中心的なプレイヤーというレッテルを貼られ、2001-2002シーズンのオールスターではコービーの故郷であるフィラデルフィアで開催されたにも関わらず、一人で点を取る姿にMVPを受賞した際にはブーイングが鳴り響いた事もあった。(前年にLALがPHIをファイナルで負かしていた事も要因)

4連覇の夢はスパーズに阻まれ、リベンジを誓いジャズからカールマローン、そしてソニックスからペイトンを獲得し、正にドリームチームを結成したレイカーズだったが、ファイナルでピストンズに敗れた後にチームは解体、シャックも離れレイカーズはコービーを中心としたチーム構成となった。

それから数年は個人スタッツとしては類い稀なる成績をおさめるものの、チャンピオンリングからは遠ざかりやはりシャック無しでは無理という印象だったが、ここでコービーにとっての転機が訪れる。

2007-2008シーズン途中でグリズリーズからパウガソルを獲得した後にチームは躍進、ガソルはコービーとの相性も良くそのままファイナルまで進み再び強豪として生まれ変わった。

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そして、2008-09シーズンにマジックを破り、2009-2010シーズンでは前年の雪辱を果たしセルティックスに勝ち、再びコービーはリーグ連覇を果たす、長年定着していたシャックの陰から解放され真のスーパースターとしての地位を確立した、正にコービーエラであった。

翌2010-2011シーズンは再び三連覇がかかったコービーにとって重要なシーズンであった、なぜなら再び三連覇を達成すれば、あのジョーダンと同じ二度の三連覇、そして6度のチャンピオンリングに並ぶからだ、そこでコービーは神と同じ領域に足を踏み入れる、更にコービー同様レイカーズの顔として一世を風靡したマジックジョンソンの5度の優勝を越える事になる、コービーはそのステージ立つ事を大きな目標として掲げた。

しかしこの年ファイナルを制したノビツキー要するマブスの前にセミファイナルでまさかのスウィープ負け、夢には惜しくも届く事はなかった。

それから再びリングからは遠ざかるかと思われたが、2012-2013シーズンにリーグ屈指のPGナッシュと、同じく当時最強のセンターであったハワードをトレードで獲得、2004年以上のドリームチームと言われコービー自身6度目の優勝が大いに期待された。

だが、このシーズンコービーの命運を分ける重大な出来事が起きた。

シーズン終了直前のウォリアーズ戦でアキレス腱を断裂。

この怪我以前は34歳にして、27.3の平均得点、46.3%のFG%、更に6アシスト、5.6リバウンド、プレイ時間は38.6分と、まだまだ目を見張る活躍をしていたが、この怪我以降著しく数字が落ちることになってしまった。

怪我以降の試合で残した数字は、平均19.8点と悪くは無いが、36.5%のFG%と明らかにプレイの質が低下した事実は否定出来ず、後に利き足である左膝を手術、更に利き腕である右肩を手術と、満身創痍ながら復帰を果たした今シーズンだったが、かつてのコービーの姿はそこには無かった。

 

始まりがあれば終わりもある、それはジョーダンと言えど、コービーと言えど例外ではない。

しかし、コービーがコートを去る日が来たとしても、永遠にNo.8、そしてNo.24を背負った勇者の姿は人々の記憶から色褪せる事はない。

それは今世の中がコービーの引退に対してどのような反応を示しているか、この記事を読んでいるアナタ自身がよく分かっているはずだ。

バスケの神様、マイケルジョーダンが今でもシカゴでそうであるように、コービーもロサンゼルスで永遠に語り継がれるだろう。

5度のNBAチャンピオン、2度のファイナルMVP、1度のシーズンMVP、2度の得点王、17度のオールスター選出&歴代最多の4度MVP、11度のオールNBA1stチーム選出、9度のオールディフェンシブ1stチーム選出、97年ダンクコンテスト王者、通算得点ではジョーダンを抜き3位、史上唯一の30000点&6000アシスト達成者、歴代二位の一試合81得点、同チーム最長在籍年数、オリンピックにて2度の金メダル獲得、、、

 

レジェンドとして申し分ない成績を納めたコービーだが、

今改めてコービーはバスケの神様「マイケルジョーダン」を越えたと言えるだろうか。

 

いや、それはない。

 

彼はただ

「コービーブライアント」

というもう一人の神を生み出しただけなのだ。

 

彼はマイケルジョーダンが唯一認めた男。

数々の功績に加え、プレイスタイル、競争心、カリスマ性。

 

第二のジョーダンが現れることがないように、

第二のコービーもきっと現れる事はないのだろう。

 

 
引退を発表した直後のペイサーズ戦、怪我をしていても、コービーがコービーである以上何かが起こる。

最後の最後まで伝説は続いて行くのだ。

 

ロサンゼルスレイカーズのコービーブライアントよ、

 

永遠に。


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About cata.

cata.
96-97シーズンよりNBAを見始め、それがきっかけで中学からバスケを始める。高校ではNBAファンサイトの運営に夢中になり青春を台無しにする。大学から渡米し7年滞在後に帰国。三度の飯より四度の飯が好きってぐらいダンクを愛するB型アラサー。

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